台湾唯一の泥温泉、入った後はお肌スベスベ、体がずいぶん軽くなりました!
こんにちは、台北ナビです。今日は台湾の台南白河区にある泥温泉「關子嶺温泉」へやってきました。関子嶺温泉へは嘉義と新營からバスが出ていて、どちらからも途中の白河に立ち寄ります。温泉旅館があるエリアは、密集していますが、徒歩では回りきれないほどの広さなので、目的の温泉旅館がある場合は、白河からタクシーに乗るのがよいでしょう。もし高鉄「嘉義」駅からタクシーに乗ったなら、約40分、片道500元かかります。
泥温泉は、日本国内でも大分の別府、鹿児島、北海道などの限られたところにしかありません。台湾の泥温泉の泉質は、アルカリ性炭酸泉。硫黄成分を多く含み、灰色に濁っています。温度は75度と高め。新陳代謝を高める効果があるので、短時間浸かるだけでも夜はぐっすり、朝はすっきり目覚めることができます。また、婦人病や手足の冷え、気管支炎、貧血、座骨神経痛などにも効果があるそうです。アトピーなどの皮膚病や胃腸病にも効くと言われています。入浴後は肌が滑らかになるので、女性にとっては天然の美容液♪お湯の色は、ほんとに泥水なんですが、ドロドロとは違い、お湯に泥を混ぜたような感じで、サラサラ。温泉の蛇口をひねると、薄い灰色のお湯がどんどん出てきます。
露天の温泉は水着着用なので、家族一緒に入れます。内湯は男女別になっているので裸で。関子嶺の露天温泉に入っていると、顔が泥パック状態の方がたくさん風呂の周りに座っていることに気づきます。大体温泉には、泥の粉を溶かした泥パックが置いてあり、皆自由に塗りたくって楽しそうに浸かっているのです。大人も子供も泥パックを塗って、お肌はツルツル♪になります。
上記1枚と下記4枚の画像は、温泉リゾートホテル:景大渡假荘園
台南市白河区關子嶺56号 電話:(06)682-2500
関子嶺温泉の由来
紅葉公園の位置
1895年、清朝政府が台湾を日本に割譲したことで、台湾人に不満の声が上がり、各地で組織された義民軍は日本人に抵抗しました,日本軍は「枋仔坪」(現在の紅葉公園)に要塞を造り、駐屯し始めた時に2人の日本人兵士が「關子嶺溫泉」を発見したのです。
1902年になって、「鼻の低い警察さん」といわれた吉田さんが、この地最初の温泉旅館「吉田屋」を営業し始めました。戦後になって、ここを周洪妹さんが引き継ぎ、「靜樂旅社」と改名。その後、彼女の嫁に当たる周洪月菊が継ぎます。2003年になって儷景會館が全権を受け、現在は「靜樂館」と呼ばれています。
静樂館:台南市白河区關子嶺17号 電話:(06)682-2678
関子嶺温泉の源泉の一つ
関子嶺温泉エリアに入ると、「火王爺廟」と書かれた廟が目に入ります,火王爺は日本の九州から来た「不動明王」で、1902年、日本人が関子嶺温泉を開発し始めた時に、温泉谷に天燃水と天然ガスを同時に噴き出す場所(水火同源があるところ)を発見。
火のかなり上方にあたるところに不動明王の石碑を置いて、温泉郷の平安を祈りました。外側はどこから見ても「廟」の様式なんですが、中に祭られているのは、なんと日本の「不動明王」。台湾中探しても「不動明王」が祭られているのはここだけです。關子嶺温泉の経営者たちは、「火王爺」は関子嶺の象徴、住民たちの守護神であると言います。「火王爺」のおかげで、関子嶺温泉のお湯は尽きることなく湧き出ているのです。
さて、その不動明王ですが、仏教の信仰対象で、密教の明王の一尊であるといわれています。廟の中に入ってみると、「波切」不動明王と書かれていました。台湾の取材陣と一緒にいたナビ、日本に関わるものなので、「不動明王」って台湾でいう土地公(土地の神様)のことなの?などなどいきなり質問の嵐を受けました。はっきり答えられなかったナビ、そもそも『波切』とは何なんでしょう??
台北に戻ってから調べてみると・・・、弘法大師空海が、唐からの帰国途中、嵐に遭い船が難破しかかった時、師である恵果和尚から頂いた霊木を一刀三礼し、彫り上げた不動明王に祈願されたそうです。祈願するとその不動明王が船の帆先に立たれ、右手に持った利剣で押し寄せる波を切り裂かれました。そのおかげで、弘法大師空海は無事に日本に帰国することができたそうです。それ以降、海難除け、航海安全の神様として、波切不動明王は全国でお祀りされています。波切不動明王のご利益は漁師さんの航海安全が主でしたが、現在は、諸願成就に変わってきたそうです。
それにしても、誰がいつ、何のために、ここへ「不動明王」を運ばれてきたのか、ナビは調べ尽くせませんでした…。
關子嶺大旅社
関子嶺で、吉田屋さんに次いで古いであろうという關子嶺大旅社が、「火王爺廟」から下りてきたところにありました。入口からして歴史を感じさせてくれます。中に入ると、通路の真ん中に大きな石の灯り灯篭があり、移動されてきたのか、それがあった場所を通路にしたのか、いずれにしてもここにあるのは妥当なのかというところに位置しています。奥に入っていくと中庭に池があり、中庭から3階までの客室が見渡せ、かつては優雅を極めた?と言う表現はどうなのかですが、典型的な日本式温泉旅館の形を保っています。部屋によってはたたみや襖、床の間、障子、障子上の木枠彫刻などが部分的に残っていますが、残念なのは保存方法がかなりずさんで、日本人が見たらちょっと悲しくなります。形はきれいに保っているのだから、地主さんか観光業関連の有力者か政府が資金を投じて、何とか立て直してもらいたいものだと強く思いました。正面玄関はかなり立派で、ここをきれいにしてライトアップすると、台湾有数の温泉街に生まれ変わるのに・・・と、台湾メディアの人たちと一緒に声を大きくして、当日案内役をしてくれた政府関連の人に求めましたが、果たして・・・?
關子嶺大旅社:台南市白河区關子嶺20号 電話:(06)682-2321
面影は残っているんですが
「靜樂館」からのびている階段をずっと歩いて行くと、もう一つの温泉の源泉地にぶつかります。「寶泉橋」から入ると、もっと近いです。
温泉の源泉はここです
もう一つの名所
北投、陽明山、四重渓と並び台湾四大温泉の一つに数えられる名湯「關子嶺」は、季節を問わず、多くの湯治客が訪れています。世界でも有数のいい泥湯を持つ関子嶺が、北投に匹敵するほどのいい温泉街に変わるのはいつのことやら・・・。日本統治時代「男坡」と言われた、昔の關嶺國小下方の山道の階段「好漢坡」は、嶺頂公園の東側にあり、日本人が傷兵のリハビリのために作ったもので、全部で293段ありました。現在は234段残っています。段が多いことから、登るのが大変で、登りきった者はこれぞ男だと言われたため、「男坂」という名前になりました。現在は観光客が関子嶺の美しい景色を眺めながら歩ける坂に変わり、途中に設置された涼亭では、歩き疲れた人が休憩できる場所にもなっています。
關子嶺紅葉公園
日本軍がかつて要塞を設置した所は、「枋仔坪」といい、現在は紅葉公園と呼ばれています。1981年になって半原始林状態だったこの地は関子嶺風景区に指定されました。きれいに整備された公園の高台からは、関子嶺が一望に見渡せ、台湾有数の蝶の生息地として、春から夏にかけては行楽に訪れる人が年々増えています。
以上、台北ナビでした。