かつての日本人(新潟県民)移民村・龍田村を自転車で駆け巡ってみました!
こんにちは、台北ナビです。
久しぶりに台東に行く機会があり、大好きな鹿野の龍田村を自転車で飛ばしてきました。かつての日本人(新潟県民)移民村であった龍田村は、台鉄「台東」駅より2つ手前の「鹿野」駅からタクシーで5分くらいのところにあります。駅周辺には何もありませんが、龍田村には「阿度的店」という自転車レンタルやさんがあり、今回はここで自転車を借りて周辺を回ることにしました。自転車レンタル料は、1人100元/1日、1人200元/2時間以内(ガイド解説付・中国語)、1人200元/2時間(電動自転車)で、店内で消費する場合は、その金額を差し引いてくれます(2015年3月現在)。
久々に阿度さんに会うとお元気そうで何より。日本人観光客も増えているそうで、さっきも一人借りてったよ~との言葉。相変わらず陽気で楽しい方です。
龍田村を回りたい、かつての日本の痕跡をたどってみたいと伝えると、龍田村には現在6軒、今も使用されている日本統治時代の家屋が残っていて、全部近くにあるからゆっくり回ってごらんとのこと。
今回は阿度さんの店のスタッフである文誠くんに案内してもらいました。
赤い線が自転車で走ったところです
龍田小学校
阿度さんの店は龍田小学校のすぐ隣にあります。日本統治時代、日本人は小学校、台湾人は公学校と分かれていて、成績優秀な台湾人は日本人に混じって勉強していたのですが、こちらはその小学校跡で、今は台東県鹿野郷龍田国民小学と看板に書いてあります。
当時の校長先生の宿舎と託児所跡がそのままの形で残っています。
屋根に南洋の植物が青々と育っているのが、年月の重みを感じさせてくれますね。託児所屋根の青々とした葉は、ドラゴンフル-ツのものだそうです。「種が飛んできて、成長したんじゃないかな」と文誠くん。数年後には屋根からぶら下がるようにして実っているドラゴンフルーツが見られるかもしれません。
校庭の片隅に植わっているのは、楓の木。樹齢100年以上というのが5本あります。楓香樹と書いてあり、日本ではタイワンフウ(台湾カエデ)のこと。真っ赤にはなりません。
龍田村は、自転車の標識も親切
ここを過ぎると、ジャックフルーツを前に、ビンロウの木を後方に控えた2軒目の日本の家屋がありました。柵などを青いペンキで塗っているところが南国風。
龍田崑慈堂
次の角を曲がったところに龍田崑慈堂がありました。
ここは、「台湾好行」バスの停留所になっているので、運転手さんに「阿度的店」と伝えられなかったら、ここで降りてもすぐ近くです。
お宮へ入る前に、かつての移民村の神社跡をちょっと拝見。こちらはもう境内の階段しか残っていないのですが、ここ数年熱気球の人気で観光客が増え、かつての移民村も新たな観光スポットとして活性化させる動きがあるそうで、その中になんと昔の神社を復元させる動きがあるそうです。もうすでに工事予定の柵で囲まれていました。
階段だけが残っています
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境内には大きな鳥が一羽、ルルが近づいても動かず…
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日本人がこの地を去ってから、住民はこの神社跡を、土地公を祀る場所としました。
民國42年になって媽祖様を招き入れ、47年時には、「瑤池金母」をまつります。参拝者はどんどん増えていき、民國69年に拡大して、現在の姿となったようです。ナビたちが行った日もきれいな花がたくさん飾られていましたが、これは参拝者が多い証拠ですね。向かって左側の髭が伸びている神様にもご注目。
龍田文物館
隣には、移民村の歴史を伝える文物が陳列されています。
大正4年、台東製糖株式会社の勤務のため、新潟県からの移民が増え始め、龍田村という移民村ができました。一戸当たりかなり広い敷地を持つことができたそうで、その配置図も残っています。最初は600人余りだったのが最多時で倍以上になり、当時台湾東部で最大の移民村となりました。
建築、木工、水道、電気、家具や浴槽造りの職人たちも移住してきたので、青年会議所や医療所、銭湯、小学校、託児所、高等学校までもが徐々に完成しました。
四角に区分けされました
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宮は神社があった区域
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今の光榮路沿いに、家がたくさん並んでいました
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神社の横は銭湯だったようですね
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文物館から再び光榮路へ出て、ここでまた日本時代の家屋を発見。3軒目です。
瓦は張り替えたのかまだきれいですが、窓などは板でふさがれているので、倉庫なのかもしれません。今度はここの角を右へ曲がります。
パラグライダー発見
前方にきれいな民宿{爵士小管}とその先にパラグライダーの着地点が見えてきたと思ったら!あ、上空に飛んでいる人がいます!
この日は風も弱くゆっくりゆ~っくり降りてきました。
降りてきました
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あ~もう着地
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ここなら安全ですね
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鹿野高台から見下ろすと、ひときわ目立つきれいな民宿「爵士小管」
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右にパラグライダー着地のエリア
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左は見渡す限りの茶畑
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龍田緑色遂道
着地点の向こうの山は、昔遠くなった日本を想ってか小富士山と呼ばれたそうです
この標識のところから小富士山を望む
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グリーントンネルの真ん中あたりです
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龍田緑色遂道は、グリーントンネルと呼ばれる400mほどの道路です。
今は道路で赤色に区別されているのでよくわかりますね。ここが阿度さん発案の道路に寝っころがるイベントが行われる場所でもあります。
ナビたちもここで寝っころがってみました♪
文誠くん曰く「別世界だよ」。確かに。道路を同じ高さの視線で見ることはないし、木々を真下から見上げることも普段はしません。以前ヨガをやってた時、最後にこうやって床の上で大の字になると、言われない開放感に浸りましたが、戸外でしかもこんな大自然の中だと開放感も倍増。世界が自分の手の中に!のような気がしてくるから不思議です。気持ちよくなって寝てしまいそう…。(観光客が増え、住民からの危険だという声に、2015年3月現在、イベント時以外はここに寝っころがるのは禁止になっています)
気分も一新
瑞々しい紅茶の葉の色
再び自転車をこぎ始めました。
今度は、きれいな茶畑に入りました。アッサム紅茶だそうです。
台湾では、ここ鹿野以外に日月潭と花蓮でも生産しています。茶樹は背が高くて、緑がまぶしい。おいしい紅茶になりそう。
こんなにきれいな茶畑に、気分爽快
区役場
再び光榮路に戻ってきました。
ここには、昔の役場が残っていたのですが、瓦や外壁はきれいに修復され、新たな観光スポットに生まれ変わりました。と、外側はきれいなんですが、内部は骨格と壁などがほぼそのままで、古びている感は否めません。建物内部にあった紹介で、大正11年は役場で、昭和14年に小学校の職員宿舎になったと書かれていました。
この建物の修復にも地元民の陳情などの努力があったそうです。これほどまでに日本時代の建物を尊重してくれる台湾の方へ感謝したいですね。
戻ります
区役場の横にもきれいな民宿、ここ数年で鹿野は民宿がかなり増えました
「阿度的店」の方向へ戻る途中、右側に2軒、当時の建物が残っていました。これで、6軒全部ですね。どれも日本国内なら小屋みたいに見えるほどの朽ちたものもありますが、それはそれでいい味出しています。
いろいろ案内してもらい、グリーントンネルでくつろいだりしていたら、2時間があっという間に過ぎていました。
お天気も暑くなかったし、雨もなく、絶好のコンディションで快適に回れました。次回はもう少し範囲を広げて回ってみたいものです。
以上、台北ナビがお届けしました。
文誠くん、ありがとうございました
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「阿度」さんのところは、台東名産も販売中、回った後のアッサム紅茶(25元)、最高でした
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上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。
記事登録日:2014-06-05