台湾原住民の中で一番人口が少ない邵族のお正月は、中秋節から後がクライマックス!
サオ族のおばあちゃん、日本名は、戸田清子さんです
こんにちは、台北ナビです。
日月潭と言えば、風光明媚な観光地。その湖畔に浮かぶラルー島は、邵(サオ)族の神が宿るところでもあります。ラルー島は、遊覧船ですぐ近くまで行けますが、上陸はできません。
このサオ族の聖地は、日本統治時代は玉島と呼ばれ、頂上に玉島神社がありました。
現在サオ族最大の居住地は、かつての徳化社、現在「伊達邵」と呼ばれているところです。ここは、日月潭最大の観光地でもあり、また観光事業の発展に伴い、商店街がどんどん軒を連ねています。
1999年の921大地震の時、サオ族の人たちの家屋はほぼ全壊。その後政府と民間支援チームが、ここ「伊達邵」にサオ族文化協会と42軒の仮設住宅を作りました、同時に伝統的な祭儀の場所と部落教室も設置。また、このような補助政策は、伝統祭儀用の「公媽籃」を持つサオ族の人たちに限られました。
「公媽籃」とは?
丸い口と四つの足を持つ藤で編み出したカゴで、サオ族の祖霊信仰の核心とも言えます。ナビは今回目にすることはできませんでしたが、各種の儀式やお祭りには、必ず各家から外へ持ち出されます。中には祖先の衣服と飾りものが置かれ、所有者夫婦の衣服も入っています。サオ族は、人は亡くなったら祖霊になって「公媽籃」に戻り、子孫の祭祀を受けると言います。その家の祖霊の存在を表す「公媽籃」、普段は家の中の床から2mくらいの高さのところに置かれています。
お客さんも
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踊りに入って
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最後はエネルギッシュに
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約20分ほどのショーです
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サオ族について
美女が多いのです
邵(サオ)族は、南投県の日月潭に分布し、人口約300人と台湾原住民の中でも最も人口が少ない民族。
父系氏族社会で、先祖や太陽、月などの崇める祖霊信仰を持ちます。独自の文化と宗教、言語を持つため、2001年には第10番目の少数民族として、政府に認可されました。
サオ族の祖先は、その昔白鹿を追って阿里山を越え、南投に移住したと伝えられています。彼らの2大集落は、徳化社と大平林ですが、かつては水沙蓮地区でも主導権を握っていました。粟、米、きび、落花生、とうもろこしを生産する農耕民族で、狩猟や畜産、漁業も行っていました。しかし、その後開墾、漢民族との結婚、移転とマラリア蔓延などが原因で人口は激減していきました。
サオ族は他の民族と異なり、早くから漢人との結合があり、他民族との結婚に対しこだわっていません。そのため、生粋のサオ族は、現在30人にも満たないそうです。
サオ族料理のレストラン 「袁家美食」 住所:南投県魚池郷日月村義勇街93号 電話:(049)285-0228
サオ族は、外部の人と結婚してもよいのですが、同じ姓を持つ男女の結婚は禁じられています。だから、たとえばサオの陳さんと漢人の陳さんは結婚できません。昔からサオ族は男性の方が女性より多く、外部の人と結婚してもよいという慣習の影響で、男性はブヌン族など近隣民族の女性を娶ることが多くなっています。
サオ族は「爐主」という制度をもちますが、これは、外族からの嫁入り、婿入りらをゆっくり同化させて、サオ族の血脈を確保する「祖霊認同」の儀式のことです。bahi(霊魂)を儀式で転換、回転させることで、外部から嫁入りに来た者も正式にこの家の家族になることができ、そして、死後の地位も守られるようになるのです。
おとぎ話
日本語で話しを伺いました
サオ族にはおとぎ話しがたくさんあります。
代表的なのがふくろうの話。サオ族はふくろうを守護神のように扱い、殺したりはしません。というのも、その昔結婚をしていないのに妊娠をした少女がいました。人々は不謹慎だと罵り、少女は森へと消えていきました。その後女性が身ごもるとどこからかふくろうが飛んできて、その女性の家の屋根に留まるようになったそうです。人々はそれによって喜事を知り、ふくろうをその少女の化身として、大切に扱うようになりました。
また、鷹も子供の化身なので、殺生してはいけない鳥として扱われています。
祖霊祭=サオ族のお正月
サオ族の新年は、旧暦の8月1日。
この日から1ヵ月間がお正月です。この期間は、「祖霊祭」と呼ばれ、各家から「公媽籃」が持ち出され、男たちはまず3日間飲み続けるのです。また、この「祖霊祭」は「豊年祭」とも言われ、他の原住民の豊年祭が数日に集中するのに対し、サオ族はお正月の1ヵ月間続き、最終日の「尾祭」でクライマックスを迎えます。
さて、大晦日には、次の年の頭目に選出された方の家で儀式が行われます。
この日は、女たちが長さの違う杵を打ちながら歌います。臼と杵で奏でる歌舞は、サオ族の独特のものとして日月潭の名物となっています。臼は粟を挽くとき使用しますが、地面に固定された円盤状のものがそれです。
ショーでは、昔の方式が守られています。
ただ本来は女性だけのはずですが、ステージでは男性もまじっていますね。
サオの祭事:
旧暦2月の開墾祭、3月の陸稲播種祭、5・6月の整地除草祭、7月の狩猟祭、8月のLus’an祖霊祭(豊年祭)
街では、中秋節のバーベキューを楽しむ人たちも
今回ナビたちが訪れたのは、ちょうど中秋節の日でした。通常は中秋節の3日後に、盛大なお正月の最終クライマックスを迎えます。
そして、以前は外部の人たちはこの祭りの輪に入れなかったのですが、近年この伝統的なお祭りを多くの人に知ってもらうため、観光客を輪の中に入れるようになってきました。そのため、今年も平日がクライマックスなのですが、観光客が多くなる土日にかけて催されることになったのです。
お正月は、頭に山鳥の羽を飾ったりします
サオの人たちは、土曜日午後の17時から歩き始め、各家を回ってお正月の「平安」を讃え、食事をごちそうになったり酒を振舞われたり。大体各家とも米酒で「乾杯!」攻撃となるので、途中でつぶれてしまう人も続出。また、この宴は翌日の12時に終焉を迎えるため、一回自分ちで休んでから、また参加する人も。
が、何と言っても1年に一回、サオ族で最大のお祭りなので、ほとんどの人はこの日のために最後まで歩き続け、後半になると年配の方たちは感極まって、涙を流すのだそうです。
ナビたちは、最終日の5日前に参加したのですが、もう皆の気分はクライマックスに近づいていたので、十分堪能することができました。
さて、いよいよ!組合屋に着きました
20時くらいから「祖霊祭」の儀式が始まるらしいという情報を得て、サオ族の組合屋に着いた時には、もう着飾った子供たちがはしゃいでいるのが見えました。
台湾のお正月は皆新調の服を着たりしますが、サオ族たちも同じ。が、1ヵ月も続くお正月なので、日によっておしゃれをしたりしなかったり。ナビがカメラを向けたとき、昨日はきれいなサオ族衣装を着てたのよと言う人もいました。もちろん最終日は皆が一番きれいで、輝いている日です。
時間が来たら人も増えてきて、皆円になって歌いながら右や左と順番に回り始めました。ナビも中に呼ばれます。
子供たちは徐々に円の中央に入っていきます。
唄は同じリズムと歌詞がしばらく続き、また違うものへ。
唄が変わると、回る方向とステップが多少変わりました。
子供たちから輪になって
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だんだん大人は外側へ
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TV局も撮影にきています
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人がどんどん増えていきます
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日本から参加していたご夫妻もいらっしゃいました
踊りは老若男女全員参加。
約40分後。
今度は、皆が手をつないで伊達邵の村を歩き始めます。
まず、男たちが先頭を切ります。手に持っているのは箒のようなものですが、これで地面を掃くことで、後から続く人たちが無事に新しい年が向かえられるようにと清めているのだそう。列の最後には少年たちが続きますが、やはり箒をもっています。
先頭の人が、ア~ア~ア~サンタ~ト~レ~と歌うと、後方の人がそれに続きます。
途中喉自慢と思しき人たちが、ハーモニーのようなものを重ねつつ、それがずっとずっと最後に出発した地点に戻るまで続いていきます。
先頭は呪文を唱えるようでもあり、旧暦の8月1日から1ヵ月間、毎日この光景が続きます
途中日月潭の船着き場のところに出ましたが、最終日の最後はここで儀式が行われます。
ここに着いたところで花火が上がりました。
最後はビーフンとスープ、缶ビールのふるまいが!
お2人、日本に嫁いでいるそうです
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にぎやかにおしゃべりが始まりました~
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儷山林哲園ホテルの館長さんに伺いました
今回、ナビが泊まったホテルの館長である袁彩甄さんもサオ族であることから、多くの話しを伺うことができました。袁、高、陳、毛、石は、サオ族の5大氏姓であり、代々の頭目は「袁」から出ることになっていて、他の苗字も代々の役割を担っているのです。1つの氏族で1つの部落を形成し、氏族長は世襲制なのが、サオ族の特徴です。
シャーマンの存在と役割
祖霊信仰で、大切な役割を担っているのがシャーマンの存在です。
シャーマンという言葉を聞くと、今の時代に?と驚く人もいるでしょう。ナビもそうでした。たとえば映画の中などで、医療が発達していない時代、シャーマンが何か唱えながらお払いをして病気の人を助けていましたよね。サオ族のシャーマンたちも昔はそうで、そして、今はお正月や慶弔、成人式、落成式や出航など、いい門出が望まれる場面には、必ずシャーマンに登場してもらわなければなりません。そこで、術を用い、悪霊払いや作物の豊作、サオ族の平安、子孫繁栄などを祈るのです。
さて、袁彩甄さんの話しによると、シャーマンは以前7人いたのですが、現在は5人。シャーマンは、サオ族に嫁いだ女から選ばれるのですが、外部との血縁を拒まないサオ族だから、今の5人のうち1人は漢人で、もう1人はブヌン族からだそうです。え?もしかして日本人もなれるかも?と聞いたら、祖霊が承諾すればもちろんなれますよ、とのこと。え~!と驚いたナビたちですが、その前にサオ族の男性に嫁ぐのが先決ですけどね。
シャーマンの選出方法なのですが、候補者は、現在のシャーマン全員からの推薦を受けることから始まります。彼女たちが候補者を日月潭中央のラルー島へ連れて行きます。ここでシャーマンたちは、サオ族の昔の言語を話して祖霊と会話をし、コミュニケーションをはかります。祖霊とコミュニケーションが出来るというのが、シャーマンとしての必須条件なのです。彼女たちが交渉している間に、鳥が飛んだり、魚が跳ねたり、何がしか生き物の動きが見られたら、それは祖霊が同意したということを表します。祖霊に受け入れられた者は、その後3日間続けて家の客間で床につき、その間に祖霊から言葉を習います。祖霊とのコミュニーケションが可能になって、やっと正式なシャーマンとして認可されるのです。
台北ナビがお届けしました。
上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。
記事登録日:2011-09-28