2013年1月29日テレサテンのメモリアルデーに、展覧会が開催されました!
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こんにちは、台北ナビです。
今日は台北観光のメッカ、中正紀念堂へとやってきました。
ここで現在、日本にもファンの多いテレサ・テンの展覧会が開催されているのです。
出身地の台湾では、没後18年経った今も国民的スターであるテレサ。生まれ故郷ならではの愛情とリスペクトに満ちた展示を通じて、歌姫の魅力に迫ってみましょう。
記者会見には大勢の報道陣が集まり、注目度の高さを感じさせます
なぜこのタイミングで展覧会が開催されているかというと、去る2013年1月29日がテレサ・テンの誕生日で、存命であれば60歳というメモリアルデーだったからです。彼女が1995年5月に急逝し、台湾中に激震が走ってから18年。没後20年近く経った今もその人気は衰えていません。台湾でCDを売っているところだったら、どこに行っても必ず彼女のCDを入手できますし、懐メロ番組でたびたび取り上げられたり、若者に人気の歌手がステージでカバーしたりといった具合。
台湾人にとってテレサ・テンの歌は、老若男女が口ずさめる身近な存在なんです。展覧会のテーマは「追夢」。誰が何の夢を追うのか?この意味は最後に種明かしします。
展示会の開催に先がけて会場で行われた記者発表会には、テレサの実兄で財團法人鄧麗君文教基金會理事長の鄧長富さんや、筋金入りのテレサファンとして知られる立法院の洪秀柱副院長が登壇。彼女の出身校である盧洲小学校の生徒たちによる管弦楽の演奏なども披露されました。
しかし、この会見の主役は、あるラッキーボーイだったんです。生前はたびたび軍隊を訪問し、台湾では「軍人の永遠の恋人」というニックネームもあるテレサ・テンですが、彼女が1981年に台湾金門島の軍隊を慰問した際、選ばれたある軍人の頬にキスをしました。その写真が今も残っていて、展覧会でも飾られているのです。会見に現れたのはそう!テレサのキスを受けたラッキーな軍人・薜進友さん。「テレサは大スターなのにとっても気さくだった。あの瞬間は頭が真っ白で、その後数日間顔を洗わなかったことを覚えています」と当時の思い出を語っていました。
これがキスシーンをとらえた一枚
エリア1 「夢の原点」
入り口から展示エリアに入る廊下には、歌声とともに歌詞のシルエットが
ファンの方ならば中華圏での彼女の活躍をご存じだとは思いますが、日本でのテレサは一演歌歌手という見方をされがち。「つぐない」「愛人」「時の流れに身をまかせ」という大ヒット曲でブレイクした時の彼女はすでに30歳を過ぎていたので、若干遅咲きの歌手という印象をお持ちの方もいるかもしれません。でも実は、14歳の時には台湾のレコード会社と契約し、プロ歌手としてのキャリアをスタートさせているんです。
16歳の時にレコードを出して正式デビューし、同時に香港でも大ブレイク。東南アジアでも人気者となります。日本デビューも21歳の時。その年にレコード大賞新人賞にも輝いています。天才少女として一躍スターになり、中華圏の人々にとっては美空ひばりのようなアイコンとなったテレサ。展覧会は、「夢的原點(夢の原点)」として、そんな彼女の生い立ちを紹介するところからスタートします。
家族構成や中国語名「鄧麗君(本名は鄧麗筠)」の由来、両親が彼女に送ったアクセサリー、幼少期に習っていたバレーシューズなどの展示が並ぶ中で目を引くのが、自筆の原稿。亡くなった後に自宅で発見されたノートに記されていた詩で、のちに「星願」と名付けられたものです。「一切都是為了年少的野心(すべては小さい頃の野心のために)…」で始まるこの詩は、おそらく彼女自身が歌うための歌詞として書かれたものですが、その内容がとても寂しく悲しく、また筆致も弱々しく揺れているのです。幼くして有名になった彼女の孤独がそこはかとなく漂う「夢の原点」エリアでした。
日本デビューも実は21歳の時
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レコード大賞新人賞も受賞しています
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両親が娘にプレゼントしたアクセサリー
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幼少のころ習っていたバレーの練習用シューズ
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エリア2 「夢実現への道」
ずらりと並ぶトロフィーが壮観です
さて、生い立ちにつづくのは「築夢之路(夢実現の道)」と題されたエリア。歌手としての華麗なる経歴を一気に見渡せる年表風の展示が広がります。10歳の時、台湾のテレビ局が主催する歌唱コンクールで優勝した1963年から、タイで急逝後に台湾政府から表彰されるまで、彼女の歌手人生はまさに「受賞」の連続でした。
香港のアルバムセールス記録を次々に塗り替え、31歳の時には「中華民國十大傑出女青年」に選ばれます。日本でも84年の「つぐない」から3年連続で日本有線大賞を獲得。各国の貴重な賞状やトロフィーの数々が並ぶこのブースでは、歌手テレサ・テンの偉大さを一望できます。
華々しい年表の後ろでは、その人生が映像として大きなスクリーンに描き出されています。食い入るように見つめる年配の男性がいて印象的でした。通路の合間には彼女の人となりをのぞかせるエピソードをパネルで展示してあります。
たとえば、語学の才能。テレサは北京語、広東語、中国語の各種方言だけでなく、日本語やフランス語、東南アジアの言語も身につけていたのだとか。多言語を操る彼女がいかに聡明だったか、愛用の辞書とともに紹介されていました。ほかにも親類を気遣った手紙や、ステージ上での靴へのこだわり、読書家だった彼女の蔵書など、オンオフ問わずテレサの魅力を伝えてくれています。
歌手テレサの歩みを振り返った後は、彼女が身につけたステージ衣装が待っていました。「夢的羽衣」と題されたエリアです。1984年にデビュー15周年を記念して香港と台湾で行われたコンサートと、85年に日本のNHKホールで行われたコンサートの衣装を中心に構成され、ファンを魅了したチャイナドレスや、洋楽ポップスを歌う時に着たファンキーなスーツなどが飾られています。かわいらしい丸顔のせいか、ナビは彼女にややふっくらしたイメージを持っていましたが、衣装は想像以上に小さく、意外なほど華奢。ここまでの展示で触れた人柄や急逝の事実と相まって、とても繊細で儚げな印象を受けました。
着用時の映像とともに紹介されています。一番右は「東京夜景」という曲のジャケットでも着ています
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スーツ類などもとても華奢でした
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そんな印象を助長するのが、中央に陣取るウェディングドレスと、このエリアで流れている映像です。広東語で恋愛について語る姿や、日本での大ヒット曲「時の流れに身をまかせ」をバックに、さまざまな場面で涙を流す映像、さらにはウェディングドレスを着たテレサが、「ずっとウェディングドレスを着たいと思っていたけど、やっと機会がきました。
あとは相手ですね」と日本語で観客に語りかけるシーンが流れているのです。これは85年日本でコンサートを行った際の、アンコールのワンシーン。スリムなウェディングドレスが少しせつなく映る演出でした。
ちょっとせつない気分を引きずりつつ向かう次のエリアは、「夢中有你(夢の中に君がいる)」。
ここではテレサにとって第二の故郷ともいえる香港での活躍について紹介しています。生まれ故郷の台湾を出た彼女の歌を母国以上の熱狂で支持したのが、当時イギリスの植民地だった香港でした。テレサは広東語を自在に操っていたので、現地のテレビや劇場で引っ張りだことなり、広東語で歌った曲も大ヒット。香港は彼女にとっても大切な場所となり、1987年には赤柱(スタンレー)という高級住宅地に2階建ての自宅を建てています。展示はその家の一室をイメージした部屋に、テレサが世界中で買い集めた小物や食器などが飾られ、テレビからは広東語で映画に歌にと大活躍する彼女の映像が流れてきます。
テーマ5 「但願人長久」
「但願人長久」を古典的な衣装で歌ったMVのワンシーン
さてさて、いよいよ展覧会もクライマックスです。
これまで生い立ちや彼女のパーソナリティ、衣装とそれにともなうストーリーと見てきましたが、ラストから2番目のエリア「但願人長久」では、偉大なアーティストとしてのテレサ・テンと、その後の歌謡界に与えた影響を掘り下げています。
まず「但願人長久」についてですが、これは1983年に発表された「淡淡幽情」というアルバムの中に収められた曲のタイトルです。このアルバムは唐や宋の時代に中国で書かれた古典詞に曲をつけて歌うという企画作で、日本でも1991年に発売されています。美しい古典の旋律をテレサが伸びやかな声で歌いあげ、発売当初から大きな反響を呼んだ作品です。「但願人長久」を日本語に訳すなら、「ひたすら人が長くある(生きる)ことを願う」といった意味。42歳の若さで急逝してしまったテレサに対して、長生きしてほしかったというメッセージも込められているでしょうし、ファンの心の中で彼女は永遠に生きている、という意味もあるのでしょう。
展示の内容は、生前のテレサを知る人や中華圏の各界著名人へのインタビューが映像として流れているほか、ジェイ・チョウ(周杰倫)など人気歌手がテレサについて触れた発言が掲示されています。つづいてヒット曲のレコードが展示され、テレサ自身の語録が書き込まれたコンサートの楽屋風セットへと続きます。
まるで本物のようなテレサが歌います!!
仕草もホンモノそっくり!
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多くの人を魅了した美声で「何日君再来」を歌います
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このエリアの最後を締めくくるのが、今回の展覧会の一番の目玉、「テレサ・テン追夢コンサート」です。なんと最新3D技術でよみがえった若き日のテレサがステージに現れ、代表曲の一つ「何日君再来」を歌うのです。生前のテレサを生で見たことがないナビにとっても、「動くテレサ・テン」は衝撃的!首の傾げ方や、少しためらうような話し方は映像で見る仕草そのものです。台湾の人たちに向けたあいさつから始まる一曲だけのコンサートは、音声と3Dが息遣いまでピッタリ合っていて、ちょっとゾクゾクしました。ファン仲間と見に来ていた年配の女性は「そっくりだわ。よくできている」とため息をつき、在りし日のテレサを見たことがない若いお客さんの中にも、座りこんで何度も何度も歌うテレサを見ている人がいました。
3Dのテレサが着ているピンクのチャイナドレスは、この「追夢コンサート」のために新たにデザインされたもの。ステージエリアの隣にはその衣装も展示してあり、まるで本物のテレサを見てきたような気分になります。チャイナドレスのしなやかな動きと美しい歌声が織りなす舞台は本当に幻想的。一曲というのが実に残念、ファンならずとも必見のステージです。
名残惜しい幕引き
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この特別コンサートのためにデザインされた衣装も展示されています
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最後は星のきらめく空間と、代表曲「再見!我的愛人」が観客を見送ってくれます。
この曲は1974年にアン・ルイスがリリースした「グッド・バイ・マイ・ラブ」のカヴァーですが、アジア圏では圧倒的にテレサの歌声で広まっている曲です。またきらめく星たちにも、「大スター」という以上の意味があります。宇宙には発見者の意図によって著名人の名前がつけられた星がたくさんありますが、その中に「42295 Teresateng」という名の小惑星があるのです。この星のように彼女は永遠に輝き続ける、というメッセージで展覧会は締めくくられています。
「追夢」というタイトルに込められた意味
さて、展覧会のタイトル「追夢」とは誰の夢なのか。答えはテレサ自身が残してしまった夢です。数々の賞を総なめにするなど、歌手として生前から伝説的な活躍をし、今もレコードが売れ続けている彼女。夢の人生をまっとう実現したかに見えますが、3つの心残りがあったといいます。それは「学歴がないこと、花嫁になれなかったこと、中国大陸でコンサートができなかったこと」。これは開催に先駆け、テレサの兄・鄧長富さんが明かしたことで、今回の展覧会はこの3つの夢を追うことがテーマになっているんです。
一つめの学歴については、各国の言葉をモノにして活躍した足跡をたどり、彼女の知性が学歴を凌駕したものであったことを証明しました。二つめの結婚は、彼女が自身の歌を愛してくれるファンの前でウェディングドレスを着た姿を通して、テレサが歌の道に自分を見出し、幸せをつかんだことを示しているそうです。そして最後ですが、展覧会はこの後北京をはじめ中国の各都市でも開催予定なので、ついに中国大陸で歌うことが実現した、というわけです。
中国でもテレサの歌は爆発的人気となりますが、その人気ゆえに政治的因縁が生まれてしまいます。89年の天安門事件は彼女に衝撃を与え、その後の歌手活動を狭めてしまう原因にもなるのですが、今回の展覧会ではそのあたりには触れていません。全盛期を軸にあくまでも輝かしい歌手人生にスポットライトを当て、唯一の心残りをこのような形で回収するという企画意図に、主催者の温かい思いを感じたナビでした。
テーマのもととなった曲にも注目
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6つのテーマで区切られたエリアには、それぞれの主題のもととなった曲があり、会場でも流れています。最後にその曲名をご紹介しましょう。
夢的原點→「原鄉人」築夢之路→「彩雲飛」夢的羽衣→「我只在乎你」※「時の流れに身をまかせ」の中国語版夢中有你→「漫步人生路」※中島みゆき「ひとり上手」の広東語版但願人長久→「但願人長久」Goodbye my love→「再見!我的愛人」
テレサのファンはもちろん、これまで彼女の歌になじみのなかった人にも、台湾旅行の思い出にぜひ覗いてみることをおすすめします。中華圏の人々に与えた衝撃や影響、繊細な感受性と知性、何よりその歌声に一度触れてみてください。台湾の人たちが今でも家族のように愛するテレサの魅力を知れば、台湾への理解もきっと深まるはずです。
以上、台北ナビがお届けしました。
上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。
記事登録日:2013-02-08