九份をもっと深く知ってみませんか?まだまだ知らない魅力がある…それが九份です
こんにちは、台北ナビです。台湾のツアーには絶対に組み込まれる定番の観光地、それが九イ分。リピーターの方ならもう何度も行ったことがある、という方も多いのではないでしょうか?でも、九イ分にはまだまだ知られざるスポットが存在するんですよ。日本人向けツアーには紹介されることがないディープな九イ分、覗いてみませんか?
九イ分の達人!羅濟昆さん
今回ナビをガイドしてくださったのは、九イ分の達人と呼ばれる羅濟昆さん!羅さんはもとは台湾東部・宜蘭のご出身ですが、今から約20年前…九イ分がまだまだ衰退の時期にいる中、九イ分と出会い、そして九イ分に惚れこんだと言います。九イ分が金鉱山として栄華を極め、それから衰退していく、という歴史にも興味を持ったそう。また、昔は今とは違い町自体が静かな雰囲気を持っており、その雰囲気も好きになったのだとか。そして、何より人がいい、ということが大きかったそうです。それから九イ分に移り住みガイドを始めました。
それゆえ、九イ分ガイドの達人と呼ばれ、数々のメディア取材も受けています。驚いたことに羅さんの奥さまも九イ分のガイドさん。英語で外国の方を案内することもしばしばだとか。ご夫婦揃って九イ分ガイドさんとはすごいです。
小金瓜露頭
まず初めに訪れたのは「小金瓜露頭」。100年以上前、ここから初めに金が発見されました。電塔の右となりがその部分ですが、昔はカボチャ=南瓜、金瓜の形に似ていたことから「小金瓜露頭」という名前が付いたそう。今ではカバの顔にも似ている、と言われています。
少し先に歩いて進むと大粗坑観光歩道に到着。ここから山の谷を見下ろすと「大粗坑聚落」があります。1971年~1979年頃までここは“小アメリカ”と呼ばれ200~300もの金で財を成した人が暮らしていました。しかし、水がなく、交通も不便だったことから人が離れ、今では廃墟の町となっています。その独特な雰囲気からここでは映画の撮影も行われたとか。なんだか、本当にジブリの世界を見ているような気がしました…
さっき車で通った時に気になっていた景観台にやってきました。この日は天気がすばらしく、ナビも今まででいちばんの景色を見ることができました!左は九イ分を越えて基隆や基隆島までクッキリと見渡すことができたんです。目の前に広がるのは東海。そして基隆山。この方角からみた基隆山は龍の背中と頭みたい、と言われていたそう。大きなお腹を抱えた妊婦が仰向けに横たわっている姿にも見えるとか…右側が金瓜石方面。取っ手がない茶壺に似た茶壺山も見えます。
本殿の中に小さな本殿がまたひとつ
車で「福山宮」までやってきました。ここは土地公(土地の神様)を祀ったお宮。約100年前に作られ、当時は台湾内でいちばん大きな土地公宮だったとか。この辺は金が採れていたので、採掘作業の際の平安の願いと金の在り処を問うためもあり、当時の人は頻繁にお参りに訪れていたそう。三合院造りの建物も一見の価値があります。中に入ってビックリ!池に亀がいっぱいいるではありませんか…「亀は龍にもなりうる存在」として崇められていました。また最も特徴的なのは、本殿が二重にあること。これは、小さな本殿の方がまず造られましたが、建て直しの時これを取り壊すことがはばかれ、そのまま残すことに…それでこのような二重の本殿となったわけです。ところで、さまざまな彫刻の中に天使の姿を見ることができます。当時、西洋の天使が彫られるのはめずらしいこと。天使は“開放”の象徴として彫られました。ここには、出世・財運の神、テスト・学業の神もいます。
歩きながらも羅さんは九イ分の地形や風水の話、九イ分にまつわる伝説などを聞かせてくれました。そして、ナビも何度も九イ分に訪れていたのに気付かなかった建物の特徴…それは、黒い屋根をしている家がいっぱいだということ。これは雨が多い九イ分ならでは。屋根に特殊な油を塗って防水しているんです。1年に1回は塗り替えているんですって。また、台風で屋根が飛ばされないようにしてあったり、地震に耐え得るように外壁に石を使ったり…さまざまな工夫がなされています。
金鉱業の衰退により人々の信仰心は「福山宮」から「聖明宮」へ移り変わりました。聖明宮は商売繁盛の関公(関聖帝君)が祀られているからです。ここの関公はえびす様と同じような帽子を被っているのも特別。ガイドがないとここまでじっくりと観察することは普段ないですよね…
少し歩くと階段に大勢の人が座り込んで何かを食べています。「あっ、ここか~」芋圓で有名な「阿柑姨芋圓」の裏手に着いていました。のどがカラカラだったので、ナビたちもちょっと休憩することに…
羅さんは芋圓を食べながら、この小学校の石が積まれた壁も100年ほど前に造られたもので、隙間にコンクリートなどを使っておらず、雨の日もえんぴつ1本分ほどの隙間を雨が流れるようにできている、地震にも強い造りになっている、と教えてくれました。細かいことまでほんとに詳しい…達人を越えた“九イ分博士”と呼びたくなりました。
あのメイン通りの階段へやってきました。平日の昼間なのに相変わらずの混雑ぶりです。日本人の姿もたくさん見かけました。階段を下りると中ほど左手に1986年に閉業した昔の映画館があります。古い映画の広告もありタイムスリップしたみたい…ここは九イ分を一躍有名にした映画「悲情城市」の撮影場所でもあります。また、その前の広場からさらに下へ下る階段があるのですが…昔は下った先に病院・派出所・金を盗んだ人が入れられる事務所があったことから、階段を下ることをまるで地獄へ下りるようだと言われていたとか。一方、メインの階段を上ったところには当時飲み屋などが多かったので、階段の上と下とでは天国と地獄ほどの差があったとか…おもしろい話ですね~。
道端でご夫婦がタケノコ出荷の下準備をしていました。なんだか心和む光景です…
五番坑
昭和二年(1927年)に開かれた坑道、五番坑にやってきました。1971年には封鎖されましたが、一般の人が今でもいちばん近くで見ることができる坑道がここです。この辺りの坑道は全部で150、全長約600㎞の距離になります。この日、ものすごく暑い日だったのですが、坑道の中からは涼しい風が吹いてきました。坑道の中は常に18度くらいで、冬は暖かく夏は涼しいそうです。また当時は、金を採る作業員が金を隠して持ち出すことを防ぐため、毎回警察によるボディチェックが行われていました。中には金を至る所に隠し、飲み込んでしまう者もいたため、警察はチェックに苦戦したそう。心臓を触って鼓動が異常に早くなっていないか調べたり、ニラを食べさせると消化がよく排便が早まると言われていたため、疑わしい者にはニラを食べさせ便もチェックしたのだとか…
九イ分文史工作室
最後に訪れたのは羅さんの事務所でもある「九イ分文史工作室」。ここでは羅さんが撮影した九イ分の今と昔の写真などを見ることができます。また、羅さんは昔採掘の時に実際に使っていたライトも見せてくれました。ロウソクみたいなものだったのですが、空気が薄くなると灯りが消えるので、灯りが消えたら急いで坑道から出る、というサインの代わりにもなっていたのです。羅さんのヘルメット姿やけに似合ってました…
たった半日の旅でしたが、内容濃密でナビは大満足!何度も訪れている九イ分だけど、今回は別の角度から九イ分を見ることができました。ブラブラ歩いて食べて、買い物して…だけだった今までがもったいなかったな…
以上、台北ナビでした。