バナナ繊維で作ったクバラン族の小物雑貨に胸躍ります♪
こんにちは、台北ナビです。
台湾ではかつて原住民は9民族と言われてきましたが、1990年から更に細かく分かれ始め、2017年現在は16民族。まだ認定を待っている民族も多数いる状態です。2002年12月26日、11番目の原住民として認可されたクバラン(噶瑪蘭)族。今日は彼らの伝統工芸の工房を訪ね、いろんなお話を伺ってきました。
クバラン族とは?
かつてアミ族の中に組み込まれていた彼らは、もともと宜蘭を中心に生活をしていました。宜蘭発祥のKavalanウイスキーは、彼らの民族名からなんです。
クバラン族は、その昔「蛤仔難三十六社」と称されていましたが、オランダ人が台湾へ入っていた時の1650年の書物によると、39社と記されているそうです。1768年、漢人として初めてクバラン族の居住地に入った林漢生が殺害されたことから、漢人進出が始まり、同化されるのを拒んだクバラン族の一部は、花蓮方面へ移動しました。現在クバラン族は宜蘭市、宜蘭県壯圍鄉、羅東、蘇澳一帶、花蓮市、花蓮県豐濱鄉、台東県長濱鄉に分布し、人口は約1500人。ナビが今回訪れた花蓮県豐濱鄉新社は、復興、東興、新社の部落に分かれているのですが、新社はクバラン族が集中して住む部落です。彼らの多くは名字が潘か偕で、ここではクバラン族が話す独自の言語や生活習慣が守られていました。
新社部落Pataronang
約300年前、宜蘭から細長い船で南下したクバラン族は、花蓮の美侖渓という渓流近くの嘉里村に漂着。水がある地での生活を培ってきた彼らは、前面に海を望み、後方には山を控え、野菜や果物も収穫できるこの地を選んだのです。が、1840年、クバラン族の一部はさらに南下し、新社に定住したのでした。
2017年現在、新社部落に住むクバラン族は約100人。部落名のPataronangは、船着き上陸する場所、という意味です。集落は農業や漁業に携わる老人と中年以上の方々がほとんどで、若者やその家族は都会に移り住み、毎年8月10日前後の豊年祭に戻ってくるそうです。が、今回工房を紹介してくれた潘静英さんのお話しによると、豊年祭自体がアミ族に組み込まれていた時の延長線上のお祭りなので、アミ族のように3~4日間ぶっ通しで祝うようなことはなく、たった1日だけだそう。が、この日は皆が白と黒が基調のクバラン族の民族衣装を身に着けるのだそうです。また、4月~6月は海祭りの期間でトビウオ捕獲のシーズン!男たちは毎日夕方~9時まで海に出るのです。
バナナ繊維の発祥
さて、素材のバナナは昔も今も現地調達。すぐそこにあるバナナから繊維をとって衣類や生活用品にし、その昔バナナ繊維の服を着る人は地位が高い人と決まっていたそうです。そして、バナナの種類は台湾では200種近くあるのですが、「新社香蕉絲工坊」では、一般に北蕉と呼ばれている台湾で一番多い食用バナナの繊維を使用しています。新社のクバラン族は閉ざされた生活を送っていたので、伝統工芸も継続していましたが、1968年に省道の台11線が開通してからは、外部のチープで便利なものが集落にもどんどん入ってくるようになり、人々は伝統工芸から徐々に遠ざかっていきました。
時代はどんどん進んでいきましたが、或る日日本人がバナナ繊維工芸の歴史を探しに集落に来たことがきっかけとなって、年配の方たちは記憶を呼び起こしました。と同時にクバラン族の文化復興の波にも乗り、伝統工芸継承の重要さについて皆が考えるようになりました。今ではアートとしても現代生活の中に入り込むようになったというわけです。
新社香蕉絲工坊の開始
1階が作業場で、2階が体験教室兼展示室兼ショップ
2003 年花蓮縣噶瑪蘭族發展協會が成立し、2004年「LALABAN新社香蕉絲工坊」も活動を開始し始めました。
それ以前の1998年から朱阿比さん、潘烏吉さん、潘阿玉さんの3人がクバラン族にバナナ繊維の制作指導を開始していて、2000年には、3人が織った布が、台中縣立文化局公益貢獻獎及編織工藝獎で2位を受賞。1997年と2002年の2回、台灣中日編織藝術節の展覧会にて機織りパフォーマンスを行い、沖繩の芭蕉香蕉絲編織の師匠であられる平良敏子さんたちと相互交流を行ったと工房の記録にあります。2011年には、花蓮県政府から花蓮の特色あるお土産品として選ばれました。
4~9月にバナナ畑では、まず祖先にお酒などの供物をささげ、お祈りをします。バナナは祖先から授かった自然の智慧だからです。その後、皮を剥ぐ作業を開始し、雑なものを取りつつ薄く削いでいきます。薄くなった皮は日に干してから今度は風通しのいいところにかけます。その後でんぷん質を落とすため一度洗って1~2日間水につけ、その後再度干し、さらに針で細い繊維に分けるのです。糸のようになった繊維を今度は繋げていき、長くなった繊維を毛糸の玉のように丸めていきます。繊維球ができたら、製品作成に取り掛かるのです。
2階の展示室兼ショップには、工程紹介やバナナの樹皮もあります
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左にいくにしたがって細く成っています
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今ではきれいな色の繊維糸もありますが、これらは植物で染め上げていて、たとえば藍色は福木、エビ茶色は薯柳からです。大きな作品の場合は、3か月以上を要し、そして、出来上がった製品は洗うこともできます。
昔クバラン族の女性は、地面に座ってバナナ繊維を織っていました。
出来上がったものは、野菜や生活に必要なものを入れる袋として、雨の時は蓑がわりとして、寒い時にはコートとして様々な活用がされてきたのです。昔の生活の中では必需品だったものが、時代の変化によっていったん途切れ、数十年前に復活した時には、それはもう伝統の産物だけにとどまらず、新しいデザインを取り込んだことで、絹や麻、棉など、異なった素材の混合製品も作り出すことができました。
現在、工坊には8人の女性製作者がいます。高齢組は、92歳のクバランの祭師でもある潘烏吉さんを筆頭として3名。その下の世代はクバラン族3名、アミ族1名、ベトナムから来たお嫁さん1名だそうです。
今日いろいろ紹介をしてくださった潘静英さん
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92歳で現役の潘烏吉さん、この日は大雨で足場が悪かったのでお会いできませんでした。日本語を話されます
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帽子は柔らかく
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丸めてバッグに入れられ
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財布も
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中に裏布ありポケットあり、丈夫なんです
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体験教室もあり、1人150元(20分)からの種類があります。
バナナの繊維を削ったり、簡単な魚を作ったりは150元で、手芸作業は200元です。
以上、台北ナビでした。