花蓮でロハスな旅をしたくなったら、ぜひ馬太鞍を訪れてみてください♪
こんにちは、台北ナビです。
今日はアミ族の中でも第2の住民数を誇る「馬太鞍」の集落へやってきました。
観光客がまず最初に向かうのは、「馬太鞍文史工作室」。工作室は、1996年に蔡義昌さん(拉藍(ラーラン)さん、アミ語で道路という意味だそうです)が設立したアミ族の馬太鞍集落の紹介施設です。この日は息子さんがお客さんを笑わせながら、楽しそうに観光客に馬太鞍とアミ族の暮らしを紹介していました。「馬太鞍」は、原住民の木彫ア-トを推し進めたこともあり、建物の両側にある彫刻には目を見張り、ここでは集落の歴史調查や調査書の保存も行っています。「拉藍的家」は、「馬太鞍文史工作室」に併設しています。
アミ族は母系社会
拉藍さんと娘さんのLamen Panayさん
そして、登場したのは拉藍さんと娘さんのLamen Panay(蔡依静)さん。アミ族の場合、Lamenは自分の名前で、その後ろのPanayはお母さんの名前。男性は父親の名前がくっつきます。
拉藍さんはお客さんを笑わせるのが得意で、どこまでが冗談かわからないほど楽しく、「馬太鞍」でのアミ族の暮らしを教えてくれます。男性は女性の家に婿入りするのがアミ族の風習ですが、土地や家の妻の名のもとに置かれるのもほとんどだそうで、妻は夫を気に入らなくなるとポイ捨てもできるんだよ、と、さっそく拉藍さんが、語り始めました。でも、女性は跡取りの女の子を生まなきゃいけない、女の子を生まないと男のせいにされるのさ、幸いうちは最初が女(と娘の肩をうれしそうにたたきながら)、その後続けて男が2人生まれたから、台湾人を妻にして、しばらく故郷に帰れなかったけど、長女が生まれたから大手を振って故郷に帰ってきたわけだよ~、そしてここを作ったんだと、自慢の長女に大満足の様子で話してくれました。
緑もまぶしく、奥は広いんです!
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きれいな水がいたるところにあります
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「馬太鞍」の名
ここにはかつて、樹豆がたくさんあったので、「VATAAN(アミ族の言葉で樹豆の意味)」と呼ばれていました。これが「馬太鞍(ファタアン)」という地名の由来にもなっています。「馬太鞍」の歴史は古く、台湾がオランダに占領されていた時代は、オランダ人と鹿皮と金の貿易(昔なので物々交換)を行っていたそうです。その証拠として当時の金が集落の中には置いてあるんだそうです。
「馬太鞍」で有名なのは、この湿地帯で独特な「Palakaw」という漁獲方法です。
現在この捕獲方法は、原住民文化遺産としても申請中。捕獲容器は竹やヒカゲヘゴの幹、サルスベリの幹など天然素材を用いて造った三層からなる箱を用います。これを池の中にしばらくいれておくと、木の幹が水面に現れ、幹を登ってきた小エビが三角形の魚網へと入るという仕組み。田ウナギやナマズ、ウナギなどの魚類も捕獲しやすく、この日の多くの観光客を相手に手本が紹介されていました。それにしてもきれいな澄んだ水ですね。
ほら、こんなに獲れます
仕掛けが見えますね
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水が澄んでいます
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さあ、どのくらい?
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わあ、すごいですよ!
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馬太鞍湿地生態園区は、花蓮県光復郷馬錫山の麓に位置し、面積は12ヘクタールにもおよび、天然の湧き水が流れる湿地帯かつ保護区に指定されています。沼にはたくさんの生物が棲息し、ここでしか見ることのできない植物や藻類、歩いていると到るところで魚やエビ、貝、タニシなどを見かけることができるでしょう。さらには希少な渡り鳥も多く、バードウォッチングするには最適な場所となっています。
春には蝶、夏には蓮の花やホタル、冬には花のじゅうたんが見れるというから季節ごとの美しさも楽しめます。1時間ほどのサイクリングコースもあり、自転車を乗りながら自然を体感できるのもみどころ。「馬太鞍文史工作室」もサイクリングコースの一部にもなっていますよ。
1991年、花蓮県農協はここに蓮の花専業エリアを設け、県の花である蓮の花の栽培を促進。約10年間で、当初5ヘクタールであった栽培地域は徐々に広がり、今では毎年5月から8月になると、一面蓮の海となるそうです。蓮の海の散策歩道もいいし、展望台に登ると、馬太鞍湿地生態園区の全景を望むことができます。拉藍さんの長年の尽力もあって、「馬太鞍」は、かなり以前から観光客を受け入れ始め、アミ族の伝統文化の紹介も手慣れたものです。
食事やパフォーマンス会場としての多機能空間
新鮮な魚介類のほか、ここではさまざまな珍しい野菜を味わうことができます。樹豆の豆やパンの樹キの果実、箭竹筍、ビンロウ樹の花と実、西洋菜、水芹、野生ニガウリ、ナンバンキカラスウリなど。炊きたての紅もち米や新鮮な呉郭魚(台湾鯛)の塩焼きなどもここの看板料理です。また、ビンロウの葉で作られた器に張られた水に米酒を加え、「台湾鯛」のぶつ切りを入れ、その中に真っ赤になるまで熱した麥飯石を落とすとその瞬間に「じゅわー」っていう大きな音がして、水が一気に沸騰する石頭火鍋(石焼き鍋)という料理も有名です。「馬太鞍」の人たちは、肉はほとんど食べず、魚と野菜が中心。ここでは20年ほど前から老人たちの記録を取り始めたそうですが、約3000人の集落に95歳や100歳の方たちも多いそうで、長寿の集落としても有名になっています。
Lamen Panayさんが語る豊年祭
さて、ここの豊年祭も4日間行われます。ここではIlisin(伊利幸)と言い、日本統治時代、日本人は「月見祭」、国民党時代になって「豊年祭」と呼ばれ今に至っています。4日間のうち、前3日には観光客も見学できるので、興味がある方は事前に「馬太鞍文史工作室」にお問い合わせください。4日目は見学できません。この最後の日の夜は、「情人之夜」といい、女性はすでにお目当ての男性がいれば、この日に限って女性主動で、積極的にアプローチできるのだそう。Lamenさん曰く、豊年祭4日目の女性はかなり大胆で、お目当ての男性の後ろに故意にくっついていくので、モテる男は、踊りの途中で振り返ると女たちが列を成しているということも!そして、7曲目に入ったとき女性は男の肩にかかる小さなバッグの紐を引っ張るのだそう。男性もOKならそのバッグを女性の肩にかけ、その後一緒に踊り、手をつないだらOKというわけ。その後は両家の行き来が始まり、結納などの順序を踏みながら結婚へとゴール!
但し、アミ族には家ごとの家紋のような模様をもっているので、この豊年祭の時に同じ模様の腰巻を捲いている男はだめ、とされています。踊るときは模様確認で男の尻もチェック、だそう。4日目は一般のお客さんは入れないそうですが、いつか機会があれば、「馬太鞍」の豊年祭に来てみたいものですね。
パフォーマンス会場にもかかっているLamenさん宅の家紋
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これがまさにその腰巻
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以上、台北ナビでした。