大正11年(1922)、開業の駅。この一帯は、早期は務祿台、清朝では鹿を飼っている人がいたので鹿寮と呼ばれ、日本統治時代に鹿野に改名しました。当時は1日3本の運行で、駅員が4人。木造駅舎でしたが、東部鉄道工事の際に現在のコンクリート舎になりました。駅前の両側には、日本時代の家屋が残っています。
鹿野と言えば、龍田村。「台湾好行」バスに乗って、鹿野駅から2つ目の「崑慈堂」で降りると、ここのお宮に併設する龍田文物館内に、龍田村の歴史が紹介されています。大正4年にできた台東製糖株式会社の内地人移民村である龍田村は、非常に計画的に造られました。碁盤の目に区画された跡は、現在の美しい龍田村の原型となっています。初期には200戸ほど600人余りの人たちが暮らし始め、多い時で1350人にもなり、台湾東部で最大の移民村を形成しました。多くが新潟県から来た人たちで、農業技術以外に建築、木工、水道、電気、家具や浴槽造りの職人たちも移住してきため、移民村には青年会議所や医療所、銭湯までもが作られました。大正6年には尋常小学校もでき、後に託児所や高等学校も設立しました。ここでは、当時使用した農機具や生活用品も展示されています。また、「崑慈堂」に向かって右の敷地は、かつて日本の神社があったところで、2015年、住民の方々の尽力もあって、当時の様式がきれいに復元されました。龍田村には、日本時代の建物が多数現存していて、自転車で回ることができます。
また夏場は熱気球イベントが盛んで、国内外から多くの人々が、ここ鹿野を訪れます。紅烏龍というお茶も有名で、見どころはたくさんあるところです。2016年現在、鹿野駅は、普悠瑪(プユマ)號なら1日2本、自強號は3本停車しています。
取材協力:交通部觀光局花東縱谷國家風景區管理處
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スポット登録日:2016-11-16
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大自然の中、ハーブ鍋で体も心も癒されました★
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自転車ならどこでも行けます~
条件が合えば、365日いつでも飛ぶことができます!
ここ数年熱気球で盛り上がる台東県の鹿野、食事処もいいところがあるんです
この地はかつて日本の神社がありました、文物館も興味深いものがあります
台東県鹿野に恋した若者が開いた農民に優しいお店。新鮮な野菜や台東のいいものが詰まったお店です
茶農園が自ら作り出す茶葉料理の数々!人数に合わせて金額が設定されるので、少人数で訪れてもたくさんの料理が食べられちゃう~☆
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さわやかな緑がいっぱいの山の景色!マイナスイオンが思いっきり吸い込めます!
パイワン族の阿亮さんが織り成す自然と自己ルーツに基づく焼き物の数々、カフェも併設しています
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