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歴史がぎっしり詰まった、ナビサイトでは語りきれないくらいの意義のある公園です


こんにちは、台北ナビです。
嘉義公園は、台湾南部の嘉義市、啓明路と民権東路の交差点あたり一帯に位置し、嘉義市立棒球場(野球場)、嘉義植物園、孔子廟、史蹟資料館、射日塔などを含む広大な公園です。野球場まであるなんてすごい、と思っていたら、案の定、公園面積は、268000平方メートル!
他にも噴水、小西湖、忠烈祠、福康安紀功碑、丙午震災記念碑、十二門の古砲、陳澄波のイーゼル、壁の道、一江山記念碑、孔廟、国宝級の阿里山森林鉄道21号蒸気機関車などの史跡があり、歴史と文化と、アートとレクリエーションなどがいっぱいの嘉義市民たちの憩いの場かつ観光客も十分楽しめる内容ぎっしりの公園なのです。
また、公園の東北の方向には林業、農業の2つの試験分所があり、多種の熱帯植物が植えられています。この基礎も日本統治時代にできたものです。 
日本統治時代の公園の様子

日本統治時代の公園の様子


嘉義公園は、1910年(日本統治時代の明治43年)に造られ、当時はまさに「嘉義公園」と呼ばれていました。
戦後は「中山公園」と改名されましたが、1997年に当初の名前に戻されたのです。 
本日公園内を案内してくれるのは、頼萬鎮さん。嘉義出身でかつて嘉義市教育局局長も務めた嘉義の文化や歴史にとても詳しい方です。公園内の隅々まで、大変熱く語ってくれました。さて、嘉義公園入口から入ると、まず目の前には、孫中山の銅像があります。台中公園だと、かつて4代目の台湾総督だった児玉源太郎の銅像が孫文にすり替わっていましたが、ここはどうだったのでしょうか…。入口入って正面は、噴水があり、台湾ではあまり見られない台湾でいう尿尿小童、小便小僧の銅像がありました。これは、とても日本的ですよ。右側には、壁の道。そして、陳澄波氏の自畫像もあります。 
嘉義のことならお任せ、頼萬鎮さん

嘉義のことならお任せ、頼萬鎮さん

小便小僧

小便小僧

壁の道

壁の道

ゴッホを崇拝していた陳澄波氏の自画像

ゴッホを崇拝していた陳澄波氏の自画像

画家・陳澄波について

嘉義の有名人を語るに、まず挙げられる台湾の著名な画家、陳澄波氏。
陳澄波(1895年2月2日-1947年3月25日)氏は、1924年日本へ留学。1926年に書いた〈嘉義街外〉の作品は、台湾人として初めて第七回日本「帝國美術展覽會」(帝展)に入選を果たしました。当時台湾人が西洋画で、日本の官展の門を破ることはとても難しいことでした。その後も数回「帝展」に入選、各地で個展も開きました。1947年二二八事件勃発後、3月25日に国民党政府によって嘉義火車站前で銃殺されました。享年52歲。
1924年から東京帝国大学の絵画科で学んだ陳澄波は、早期に日本へ留学した学生の1人でもあり、その後大学院でも学び、1929年上海に渡りました。1932年(昭和7年)、上海で一二八事件が起こり、台湾へ帰国。1933年(昭和8年)、楊三郎、李石樵、顏水龍、李梅樹、廖繼春、立石鐵臣、陳清汾たち8名の画家と「台陽美術協會」を結成し、台湾各地で芸術活動に貢献しました。1945年、第二次世界大戦の終結後、嘉義市第一任參議會(今の嘉義市議會)の議員に当選し、芸術界から政治界へ転身。その2年後に命を落としました。
嘉義公園の各所に、陳澄波の絵画があります。 
陳澄波氏について、とっても詳しい頼さん

陳澄波氏について、とっても詳しい頼さん

絵の後ろに、描かれている風景があります

絵の後ろに、描かれている風景があります

散策にぴったりの公園

亀が碑を支えています

亀が碑を支えています


少し歩くと、清朝の福康安紀功碑と解說板がありました。
乾隆53年(西元1788)皇帝は、福康安の戰功を褒め称え、十座紀功碑石と龜座を作りました。満文と漢文が彫られていて、一部は台南の保安宮にもあります。台座に亀が使用されているのは、中国大陸ではよくありますが、台湾ではとても珍しいものです。
さて、園内に入ると、椰子の木がすっくと聳え立ち、ナビには、台北の仁愛路両側にそびえる椰子よりかなり高く見えました。南国の太陽はすごくおいしいんだろうなあなんて、のびのびと育っている姿を見て思ってしまいます。
解説の碑

解説の碑

孫文像の後方にそびえる椰子

孫文像の後方にそびえる椰子

先ほどの福康安紀功碑解說牌を過ぎると、池、橋、坂、花園などをくねくねと巡る道があり、ここはまさに日本庭園だったという雰囲気が伝わってきます。自然の山水を利用しているため、どの角度から見ても美しい風景で、ゆっくりと散策するのにぴったりの公園です。
テニスコートやローラースケート場もあります。 

歴史を語る…

嘉義孔子廟

静かな公園の中に突如として、赤い色が目に入ってきました。
美しい曲線を描いたこの孔子廟は、他の孔子廟と違って、明倫堂や崇聖祠は、設置されていません。1706年に西門外(現在の吳鳳幼稚園)に建立された孔子廟は、乾隆十八年(1753年)に文化路省立醫院內に改築され、民国53年現在の場所に移動となりました。自由に中に入ることができます。
営業時間:9:00~18:00
緑が生い茂っています 緑が生い茂っています

緑が生い茂っています

嘉義神社
 

嘉義神社は、嘉義公園の中に位置していました。神社の本殿は、後に国民党に忠烈祠として改められましたが、1994年に全壊。1998年になって、元の場所に「射日塔」として生まれ変わりました。
神社の付属館は、1998年に古蹟として認定され、その範囲は、齋館、社務所、手水舍、參集所、神輿庫及び参道と参道両側の石灯籠と狛犬の石彫りなどを含みます。中でも齋館と社務所は、第2次世界大戦後「國軍828醫院」として、1987年に壊されるまで使用されました。災害で全壊後嘉義市政府に戻され、修復工事が始まりました。工事終了後の2001年1月5日より「嘉義市史蹟資料館」と命名され、無料で入館できるようになりました。

嘉義神社の主祭神は、能久親王、大國魂命、大己貴命、少彦名命、天照皇大神
社格は、國幣小社。創立は、大正4年(1915年)と記されています。
公園内に残る日本の足跡

公園内に残る日本の足跡

コマ犬

コマ犬

大正の文字

大正の文字

この緑のせい…?

この緑のせい…?

おかしなものですが、神社への参道周辺から、霊気のようなものが漂っているような気がしました。同行の台湾人メディアたちも同感のようで、「ここって日本だよね」なんて言う声もあり。皆神社に入る時になるちょっと神妙な面持ちで、ナビ含めいつものようにズカズカと写真を撮ることなく、静かに被写体にカメラを向け、ゆっくりとシャッターを押し…。
ナビはと言えば、この静寂の中、立ち止まって大きく一呼吸。古の人たちがここを通って参拝に訪れていた光景をしばし思い浮かべようとしました。もし、周りに誰もいなかったら…、完璧にタイムスリップできていたかも。 
嘉義神社の齋館と社務所
齋館

齋館

社務所

社務所

嘉義神社手水舍

嘉義神社手水舍


齋館と社務所を合わせて今日の嘉義市史蹟資料館となっています。
齋館と社務所の建築方式は、日本式の「書院造り」の木造構造で、8個の展示エリアに分かれています。
2棟は連結し、建築の內部素材は、天井、畳、障子、玄関、廊下の隅々に至るまで日本式に徹しています。  

齋館の室內面積は70坪で、内部には、祭壇、式場と部屋があります。
社務所の室內面積は61.16坪。内部はL型で、廊下が齋館に通じています。
社務所両側の数室は、神社で勤務する人たちが使用していました。 
齋館と社務所をつなぐ廊下

齋館と社務所をつなぐ廊下

社務所
社務所 社務所
社務所 社務所

社務所


射日塔

高さ62メートルの「射日塔」は、阿里山の神木をイメージしたデザインで、褐色のアルミの模様は、神木の外皮を模しています。中央には高さ40メートルの「一線天」があり、内部には、原住民の「射日神話」を題材にした青銅の彫刻を配置。この神話は、人類が引き継ぐ伝承の精神を表し、人々の心を奮い起こす教育的な意義があります。
塔の入口には、台湾の守護神であるウンピョウを象徴した1対の銅の彫刻があり、塔の下の階は「忠烈祠」で、一番上の階はレストランを兼ねた展望台になっています。
塔の頂の斜面には、嘉義市の花であるムラサキソシンカ(紫蘇芯花)が咲き、展望台からは、嘉義市全体を見渡すことができます。山城の美しい景色が広がっているのが見えます。 

公式戦もよく行われます

神社の隣が野球場

神社の隣が野球場


嘉義市立棒球場

神社の隣には、野球場があります。
嘉義の野球と言えば、戦前、甲子園で準優勝した「嘉義農林」が有名ですね。台湾の年配の方なら、知らない方がいないほど有名な学校で、現在は国立嘉義大学となっています。
日本統治下の昭和6年(1931)、台湾代表として出場した嘉義農林高の監督は、野球の名門校松商(愛媛県立松山商業高等学校)出身の近藤兵太郎でした。「台湾の野球を強くしたい」という意気込みで台湾へ渡った熱血人で、台湾最強のチームを作ろうと、台湾全島をくまなく歩き回り、有望な選手を見つけては嘉義農林へと呼び寄せたそうです。松商直伝のスパルタ式訓練で選手を鍛え、それに応えた嘉義農林の選手たちは、1931年甲子園の切符を手にしました。全く無名だった「嘉義農林」は次々と勝ち進み、見事に準優勝。日本中をあっと驚かせ、甲子園の輝かしい歴史の中にその名を刻み込んだのです。
台湾は、スポーツ面ではそれほど強くない国ですが、野球やバスケは人気があります。ここ数年、台湾の高校野球は、台中や高雄の学校が強いようですね。 
日本と中華が混じった公園なのです

日本と中華が混じった公園なのです

嘉義公園・バス停

嘉義公園・バス停

以上台北ナビでした。  

記事登録日:2013-01-17

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上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

スポット登録日:2013-01-17

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