台湾一信仰心が篤いと言われる金門の人々!そんな暮らしを少しのぞいてきました
こんにちは、台北ナビです。
4~5月は金門が一番の盛り上がりを見せる!と聞きつけ行ってきました。離島と聞くと遠くて行きにくいと思っていたのですが、実は台北から飛行機で1時間弱。台湾の離島は案外近いのです。1時間で台湾とはまた違った雰囲気のある金門を楽しんできました。
ここは台湾?
松山空港で金門行きの飛行機を待っている間、飛行機の中、金門空港に到着した際、周りから聞こえてくる中国語は中国大陸の方が話すもの。ここは台湾の離島、金門だよね?と思わず確認したくなるほど台湾っぽくないんです。
どうやら中国大陸の方が台湾へ来る際、中国大陸から直接飛行機で台湾へ来るよりも安く台湾旅行ができること、また廈門の人なら観光ビザなしで金門へ旅行に来られるのが関係しているようです(台湾本島へ上陸するのは不可)。そのため金門では多くの中国大陸の方を見かけます。みなさん豪快に試食し、豪快に購入していく姿は驚きです。
金門空港に到着したら国外にいるのかと錯覚しちゃうかも?
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お土産屋さんではほぼ皆さんが箱買い!
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金門の繁華街・金城鎮
今回ナビの金門への旅行の目的は「金門迎城隍」を見ること。金門一の繁華街金城鎮に到着した時には「金門迎城隍」の準備でみなさん大忙し!そして街には台湾でよく見かけるチェーン店などがあり、ナビが想像していたよりも街らしくてビックリ。
高梁酒に触れる
南城門
金門と言えば高梁酒。工場を見学もできる「金門酒廠」では機械化が進んでいます。そして、同じ金門の高梁酒ですが、金門城の南城門にある「金城酒廠」は使用している機械が古いので、一部手作りで作られているそうです。しかも一般客は見学禁止!ということでナビも中を見学することはできませんでしたが、以前の南城門が工場の入口へと変貌を遂げているあたり、金門人の高梁酒への思い入れを感じざるをえません。
また、南城門を左に折れてまっすぐ進んだところは、金城酒廠の前身「九龍江酒廠」」を創設した葉華成さんが地酒をつくり始めた場所。彼がここで作りだした地酒が今の金門高梁酒の原型となっていると言われています。その後金門酒廠實業股份有限公司が1740万元もかけて修復工事を行い「金門高梁酒史館(葉華成紀念館)」を完成させました。ここには金門高梁酒の美味しさの秘密とも言われた井戸も残されています。
「金門高梁酒史館(葉華成紀念館)」を南城門と逆方向へ歩いて行くとあるのが、「文台寶塔」。1387年に今で言う燈台の働きをするために作られました。二級古跡として登録されているのですが、金門人にとってもう一つ意味があるんです。
文台寶塔に「奎星聳照」という文字と「魁星踢斗」の絵が彫られており、文運を願い、大事な試験の前には受験生やその親たちが祈りにくるそうです。また、「國之金湯」と赤い文字で彫られているのですが、これは近代の書道家・張大千が書いたものだと言われています。
文学と書の宝庫「虚江嘯臥碣群」
虛江嘯臥
文台寶塔の南側にある「虚江嘯臥碣群」は明と清の時代の文人たちが作り上げたもので、年代も書いている言葉もまちまちです。その中で一番古いと言われているのが「虛江嘯臥」。
明の時代、倭寇退治の名将・俞大猷が金門の南磐山に登り大きな海を眺め休憩しました。その際「自分は何でもできる!」と感じ、岩に「俞大猷(別名:虛江)はここにあり!」と彫ったという言い伝えがあります。その後ここに涼亭を作りたかったのですが、異動になったため、彼の弟子である楊弘舉が代わりに涼亭が作ったと言われていますが、1949年の砲火により潰れてしまったと言われています。
「虚江嘯臥碣群」から東門を越え、北門を越えところにあるのが、「金門城明遺老街」。600年以上の歴史を刻み続け、福建省南部の伝統建築を残す貴重な街並みです。今でもここに数軒の住民が暮らしているのですが、すでに取り壊された家があるなど、懐かしい街並みながら少し物悲しさが漂います。
また、2012年に使われなくなった建築を利用し、金門の歴史や生活様式を展示している「明遺古街故事館」がオープン。説明はすべて中国語で書いてありますが、写真やイラストが多いので中国語がわからなくても何となく理解できると思います。
絵本の中の家みたいな石造り
金門城明遺老街内に堂々とある洋館。これは「黄天佑紀念館」。この建物はこの老街内で唯一屋根の方向が違います。金門に生まれた黄天佑。彼は父の仕事の関係でシンガポールへ渡りますが、結婚後29歳で金門へ戻り診療所を借りて診察を続け、1933年に故郷である今の金門城明遺老街で「醫生館」をオープンしました。実直な人柄の彼はお金がなく診察を受けられない患者からは診察料を取らなかったそうです。
その後金門で大型の伝染病が3回も発生し、医術にも長け、手術もうまかった彼は治療に駆り出され、数年後胃腸炎のため41歳という若さでこの世を去りました。黄天佑紀念館では民衆に親しまれた彼の歴史や生活の様子を知ることができます。
高台に作られた莒光樓は八二三砲戦精神の象徴とも言われている建物。八二三砲戦の際に建てられた紫禁城のような中国建築は中国大陸と緊張状態にあった10年間で4回も台湾の切手の写真として使用され、有名になりました。
現在は中も開放されており、金門の歴史や生活様式を紹介しています。天気がいいと廈門も見えるのですが、ナビは夜に訪れました。実は毎晩1時間ごとに15分間ライトショーが楽しめるのです。レーザービームが飛び交う派手なものを想像しましたが、金門の自然や文化を音楽に合わせて映し出す可愛らしいライトショーでした。
住所:金門県金城鎮賢城路1号(莒光湖のそば)
電話:(08)232-5632
開放:8:00~22:00
シンガポールの華僑である陳景蘭が建てた洋館。金門には多くの洋館があるのですが、成功した華僑たちは金門に洋館を建てるのがステータスであり、また民衆のために使用していた例も多々あります。
もちろん「陳景蘭洋樓」もしかりで、陳坑小学校として使用されたり、1949年以降は国軍によって、軍病院としても使用されました。はたまた阿兵哥(兵隊さん)たちの憩いの場としても提供されたそうです。が、肝心の陳景蘭氏がここに暮したのはほんの少しだけだと言われ、成功者も大変だなぁと思ってしまいました。
世界に一つだけと言われている坑道にある本格的な軍医院。山の中に掘って作ったというから驚きです。金湖鎮夏興村にあり、1978年から掘りはじめ1980年に完成されましたが、現在は使用されていません。ナビが訪れた時も中に入ることができませんでしたが、ナビを案内してくれた金門人・美玲さんはこの病院で出産したから、特別思い入れのある病院なのと語ってくれました。
金門で兵役についた方や金門人にとって生活に密着した病院だったんですね。金門政府によると、ここを金門の文化に触れられる博物館にしたり、免税品が買えるお店を作ったり、お酒の飲めるバーにしたりする計画があるのだとか。どんな未来が待っているのかちょっと見守りたいと思います。