1910年(明治43年)、台湾東部に767mmの狭軌軽便鉄道の建設開始、1067mmになったのは1982年のことです
こんにちは、台北ナビです。
台湾の鉄道の基礎は日本統治時代に出来上がりました。台湾各地に残る日本人たちの功績の跡…。こと鉄道に関しては残っているものが多いので、明治~大正~昭和にかけての日本人たちがたどってきた足取りをさかのぼってみませんか?ナビは今回鉄道歴史の旅として花蓮へ行って来ました。
入ります
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入口右にはかつての警備室
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右には大きなガジュマル
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左は見事な松
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徒歩圏内でいろいろ見て歩くことができます
花蓮の鉄道について
1909年(明治42年)、花蓮駅から璞石閣までの長さ87.3キロの東部鉄道路線を建設するために、「鉄道部花蓮港出張所」が設置されました。道路の建設と管理、橋造りやトンネル掘りなど、鉄道に関するプロジェクトの発展のために設けられた場所ですが、その内容は現在のプロジェクト統括部とほぼ同じだったと言われています。内部は、運営業務所、工務所、機務所、電務所、警務所などを備えた出張所という名称ながら、小さな鉄道局のようなものでした。
噴水前の「阿之寶」店は、当時の樟脳、サトウキビなどの貿易はじめ、移民村もつくった賀田組の建物でした
周辺には、駅やバス停、港などの施設も配置され、近辺には航運会社や貿易会社、新聞機関、旅行社、レストラン、お土産店、百貨店なども次々と出来、ここを中心に台湾東部で最も賑やかな街が作られました。1943年の全線開通後は、「花蓮港鉄道事務所」に改名されました。
1979年になって台東線の拡大工事のため、組織機関はすべて花蓮市西区に移転。1982年現在の場所は廃止され、それに伴いこの周辺も次第に廃れてきたのですが、2000年に入って、政府や鉄道局などの援助があって歴史建築の登録や修復を開始。後に文化園区として生まれ変わりました。
鉄道文化園区(一館)
水しぶきに圧倒されます、後方の金龍旅社も日本時代からの建物
1、 旧駅噴水池
昔は普通の噴水池でしたが、現在は花蓮名産の大きな大理石ボールが水の勢いでグルグル廻っています。台湾ではよく店内でもこのような小型のものを見かけますが、これは風水を意味しています。丸いものが回転する→運気が回る→財運を招くということらしいです。
2、 前庭
「鐵道部花蓮港出張所」の前庭左側には、防空壕の跡のようなものがあって、その後方には、「接収紀念」と書かれた石碑があります。これは、当時開通に16年を費やした東線鉄道工事のさなか犠牲になった人たちの碑で、「奉公獻身紀念碑」なのです。
改札抜けたら中庭
3、鉄道文化館
文化館は、中に入ると四合院の形式ですが、まず前方から望むと和洋折衷の建築様式であることがわかります。瓦屋根の一階建てですが、明治末期の建物の特徴でしょうか、中央に突き出た建物が札幌の時計台のようですね。
当時から現存している1905年(明治38年)に開業した台鉄「台中」駅、1913年(大正2年)開業の台鉄「新竹」駅は中央に突出した時計台があります。両駅とも設計者は、松崎万長氏で、バロック様式が美しい駅舎。昔は駅のことを停車場(テイシャバ)とよんでいたそうです。さて、花蓮駅も同時代に造られたものですが、建物が朽ち果てたのを修復した形なので、時計台だった部分は窓になっています。
中に入っていくとすぐ当時の改札口がありました。が、ここは出張所だった建物なので、実際の改札口は、文化館入口の左にホームへつながる建物があったので、その中だったようです。文化館内部に精密な模型があるので、チェックしてみてくださいね。
後方の絵を見ると、改札の建物には時計台はなく、やはり文化館の建物にあったようです
工務課や処長室など部屋ごとに当時使用していた機械や物品を展示したり、日本統治時代の花蓮から台東を結ぶ東部鉄道の沿線修築の歴史を紹介しています。当時の建築もほぼ残され、社員食堂跡などが残っているのも興味深いです。
昔の花蓮駅
中庭がきれいです
今はまだ廃墟
4、旧所長宿舎および職員宿舎群
こちらも和洋折衷の建物だとされる花蓮管理所所長宿舎ですが、ナビたちが行った時は修復中で、中に入れませんでした。2013年から囲っていて、工事の着手はまだのようです。
中山路の向かいに昔の鉄路工会の建物があり
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後方は空き地ですが、左手は福利社とかつての武道館がありました
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鉄道文化園区(二館)
一館、二館の間には蒸気機関車の展示があります
5、旧花蓮工務所・旧花蓮警務所
福町路をはさんで、二館があります。入っていくと、台鉄「彰化」駅の裏手にある扇型車庫跡のようなものがありました。奥の建物は武道館、警察、刑務所です。刑務所の罪人は、スリや交通違反、事故を起こしたものと記されています。鉄道職人たちの倉庫や休憩所、工場などもありました。
カジュマル強し
ここにもガジュマルに入口がふさがれそうな元防空壕。池は日本時代のものでしょう。それっぽいのがありました。
ナビたちはカフェに入ってひと休み。ここで、大和甘蔗汁(100元)、五年文旦甕底醋(100元)、田園柚子茶(150元)をいただきました。サトウキは沖縄産、文旦は花蓮県の舞鶴産です。
給水塔はいずこへ?
6、蒸気機関車給水塔
さて、カフェに入って窓越しに、そういえばこの福建街をはさんで向かいは給水塔跡のはず、給水塔はここじゃないんですか?とオーナーの黄惠周さんに聞いてみたら、なんとその「ゆうらくちょう」と書いた焼肉やさんが建てられる時に、政府が塔を壊してしまったんだそう。老朽化して危なかったんでしょうか?疑問が残りつつ、せめて何かの形で残っていれば、なぜ焼肉や?とナビたちは首をかしげてしまいました。
鉄道園区の近くには、倉庫(旧駅工房)と石芸大街(旧鉄道医院)もあります。
また、当日の夜、花蓮文化園区の帰りに鉄道歩行者天国(旧鉄道遊廊商店街)まで歩いてみました。ここは、夜は賑やかで、いろんな屋台なども出て小夜市のようでした。
観光スポットに加えてください
花蓮鉄道文化園区は、花蓮の市内に位置し、アクセスも便利!しかも入場無料です。
ナビは展示されている昔の駅の画像を見ながら、日本人が残してきた功績に感歎していました。パイオニアだった明治の日本人。100年以上経っても使用されている当時の路線など、当初から未来を見据えて、計画的に着実に工事を進めてきた日本人の知能に敬服です。
鉄っちゃんや鉄子の方はもちろん、花蓮旅行に行かれた方は是非訪れてみてください。
以上、台北ナビでした。