シーズンは6月~9月!リゾ-トの魅力がいっぱい詰まった澎湖は、3日じゃ足りない!
こんにちは、台北ナビです。さて、Part3に引き続き、馬公市を中心に市街地の建物や古跡などを見ていきます。澎湖の夏は、まさしくリゾートそのもの!青い空と青い海は身も心も開放的にさせてくれますが、やっぱり日差しは、かなり強い!日焼け対策は万全にしたいものです!今後澎湖へ遊びに行く人は、実は5月や10月は日差しが若干弱く、風も少し吹いてるベストシーズン!というのを覚えておいてもいいかもしれません。★澎湖の冬の強風は、観光にも影響します。
12、関税局、郵便局と警察文物館、そして、公売局
さて、日本統治時代の建物をいくつかご紹介しましょう。台湾全土のあちこちに残る日本式家屋や公共の建築物ですが、ここ澎湖にもたくさん残っていました。実はナビ、澎湖は、今でも台風や強風で飛行機が飛ばないこともたまにある離島なので、この地にはあまり日本と関わりがあるものはないかもと思っていましたが、馬公市内のあちこちに日本の跡を発見して、本当にびっくりしました。しかもほとんどがきれいに修復され、依然として使用されているのには、驚きと感動でした。
台湾の郵便局は緑ですから…
馬公市に来てここを訪れない人はいないだろうというほど有名な天后宮とその周辺。宮はちょうど屋根の修復中で、屋根の上に大きな屋根が設置されていました。これも雨風が強い澎湖ならではの防御策でしょうか。宮近くにある観光スポットの四眼井と呼ばれる4つの井戸を見に行くため、細い路地を歩きました。ここは、夜はきれいにライトアップされ、レトロなファンタジックストリートに変身します。井戸周辺の家も日本統治時代の名残りをそのまま残していました。中でも「中央旅社」と「乾益堂」はしばし足を止めて見てみたいものです。「中央旅社」は前面の壁のみ昔の建材で、内部などはすべて改装されています。しかし、赤いドア枠が何とも趣ありますね。10:00~21:00は中に入って見学もできます。
かわいい建物になりました
井戸のすぐ近くにある大正7年に建てられたバロック式の「乾益堂」は、保存状態が良好なことから古跡としての認定も受けています。現店主の薛光華さんは、とてもフレンドリーな方で、ナビも店内を撮らせてもらいましたが、棚や天井、2階へあがっていく細い階段など、要所はきれいに手入れされ、大切に保存されているのがよくわかりました。日本でも大正時代の建物が、これほどきれいな形で残っているところはもうほとんどないでしょう。
乾益堂中薬行 住所:馬公市中央里中央街42号 電話:(06)927-2480
14、第一賓館は、かつての迎賓館
こちらは日本統治時代には迎賓館として使用されていたところで、やはり古跡の認定を受けています。玄関があり、建築には「竹木舞造壁」が使用されていると館外の説明書きがありました。が、裏へ回ると、1956年に蒋經國元総統が、この場所を総統専属行館として使用するため、内部の日本的空間を一部撤去し、洋風の書斎やダイニング、部屋に改造したとの表記がありました。レインボーブリッジがかかる観音亭がきれいに望めるこの場所は、蒋經國元総統が澎湖を訪れた時には、起居を行う場所としてだけでなく、公的な場面にも使用していました。第一賓館の裏には地下へ続く防空壕もあります。ナビたちが行った日は木曜日だったので予約なしには入れませんでした。開放時間は、金土日9:00~12:00、14:00~17:00、月火は休館、水木は7日前に事前予約(電話:(06)926-9413)、入場料:30元、学生15元、120㎝以下の子供や65歳以上の老人は無料です。
15、県庁ってこんなにすっと入っていいんですね
基礎は日本統治時代の建物で、1935年建立と石碑には書かれています。正面から見るとてっぺんには、見張り台が突出しています。内部はアーチや円柱がある若干ロマネスク風。内部を見学してもいいですか?と聞くと、3階までは上がれませんが、2階もどうぞと言ってくださいました。
16、「澎湖開拓館」と呼ばれています
澎湖は、6月から9月の4ヶ月の間がシーズンと言われ、それ以外の季節、澎湖の人は、休んだり、台湾本土で他の仕事をしたりだとか。この建物は、昔の県長宿舎でナビたちが行った日は、本格的シーズンに向けての準備中。展示準備もまだだし、何もなくてもいいなら入ってもいいわよと、入れてもらいました。庭に回るとここにも日本が色濃く残されていました。建物と同様、丁寧に手入れがなされています。
17、澎湖湾故事園区展覧館へもぜひどうぞ
こちらは比較的新しい観光地です。台湾には眷村と言って、国民党軍として台湾に移住してきた中国の軍人さんたちの集落があります。台湾本土の眷村は、完全に取り壊されたり、古跡として残されたり、その後の形は様々ですが、ここ澎湖では…さすがです!「澎湖湾故事園区展覧館」として、生まれ変わりました。壊れかかったものも上手にアートとして取りこんでいるところが、何とも心憎いですね。ところで、この軍人村も元はと言えば、日本人集落だったんです。日本人集落→国民党の眷村(軍人村)→アート村の観光地という流れをたどってきているのです。
張雨生の生家:
31才の時、惜しくも交通事故で亡くなった音楽界の奇才「張雨生」。父親は軍人で、母親は原住民。幼い頃に台中へ引っ越しましたが、彼が生まれて幼少を過ごしたのは、澎湖のこの家でした。張惠妹(アメイ)にも多大な影響を与えた彼は、当時自身の歌手業だけにとどまらず、作詞、作曲、ミュージカルなども手掛けていました。高音のパワフルな歌声は、今でも時々耳にします。
潘安邦の生家:
もう一人有名な歌手である、潘安邦の生家もこの村でした。張雨生よりは少し上の世代の人で、おばあちゃん子だった彼の有名な歌に「外婆的澎湖湾」というのがあります。庭からは広い海が見え、彼が貝を捕っている姿とおばあちゃんが話しかけてる姿の銅像が象徴的です。
この観光地は、廃墟をアートとしてとらえているため、完全復元ではなく、中途復元で、全体的に面白い効果を出しています。近くには民宿もあり、そこからはレインボーブリッジが逆の方向から望めました。
いかがでしたか?今後も澎湖を様々な形で紹介していく予定です!