台湾の人が建てた日本語教会

台湾の人から現代日本人へと託された、日本語の教会。その設立にはアイデンティティを突く歴史的な影がありました。

こんにちは。台北ナビです。台湾では廟に行けば、いつでも多くの人が参拝している姿が目につきます。台湾の人は信仰に非常に篤く、道教に限らず、仏教・キリスト教なども皆さんとても熱心に信仰しています。さて、今回NAVIがやってきたのは、台北にある日本語のキリスト教教会(国際日語教会)。現在台北市内の二つ会堂で、毎日曜日に礼拝をおこなっています。聞くところによると、この日本語の教会、もともと台湾の人たちが作ったんだそう。「なぜ、日本人じゃなく、台湾の人がわざわざ日本語の教会を作ったのか…面白い話が聴けそうだなぁ」という好奇心から、早速教会に行ってインタビューしてきました。
今日は木曜日。朝十時から、西門町と台北駅の中間にある城中教会で、皆さんが集まって聖書の勉強をしているので、ナビも参加してきました。周りは承恩門/北門や台北総合郵便局などの古い建物が集まる昔の繁華街。教会もそんな古い町の路地裏にありました。今日の勉強会のテーマは聖書のペテロの手紙三章-妻と夫-より「現在の社会でも妻は夫に無条件に従うべきなのか?」という女性にとっての永遠のテーマ。テーマがテーマだけに活発に意見交換が始まっています。話は結婚問題・夫婦問題から、嫁姑問題、子育てなどに発展。
もちろん聖書も日本語。 もちろん聖書も日本語。

もちろん聖書も日本語。

見たところ、この会に来ている人はおばあちゃんが多いですね。

見たところ、この会に来ている人はおばあちゃんが多いですね。

若い人もいました。日本から台湾に嫁いできたんだそう。

若い人もいました。日本から台湾に嫁いできたんだそう。




このおばあちゃんも日本人。28歳の時、大陸から台湾に引き上げ、もう御歳90歳!

日本語が上手だということではない

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皆さんの活発な討論は、すべて「日本語」で行われています。日本のテレビ討論番組となんら変わらないような内容に、ナビはびっくり。しかも、名古屋出身のナビに対して、「名古屋と言えば、尾張よね…尾張は三英傑の出身地だったわよねぇ」なんていう言葉が出るので、二重にびっくり!まさか台湾に住んでいる方に「名古屋=尾張」という概念があると思わなかったからです。今の日本人でさえ、名古屋=尾張と言える人はそう多くありません。思わず皆さんに向かって、「日本語のあまりの流暢さにびっくりしました!」と口を滑らしたNAVI。

そこへすかさず、教会の牧師先生よりフォローがはいりました。「NAVIさん、違うのよ。“日本語が上手”ということではないの。そこをしっかり理解することが、私たちの教会の成立を問うことになるんです」
そう。確かに台湾・この東・東南アジアでは「日本語教育を受けたおじいさん・おばあさんがたくさんいる」ということはNAVIも学校で勉強し、今までにもそういう人に会ったりもしてきました。台湾が好きな人なら、なおさらこの点はおわかりでしょう。

でも、台湾の多くのご老人は、日本統治が終わってもう60年以上も過ぎ、たくさんの日本語を忘れてしまっていて、現在基本的な会話は台湾語を使っています。ですから日本語で会話をしても、台湾語が混じったり、中国語が混じったりする会話になるのです。しかしこのおばあさんたちの日本語には台湾語や中国語が一切混じることはありませんでした。ですから「このおばあさん達は、今でも日本語が本当に上手だなぁ」とナビは素直に思ったのです。



しかし牧師先生が言う「そうではない。日本語が上手ということではない」というのはどういうことなのでしょうか?

三つの小学校

戦前台湾には三つの小学校があったそうです。一つは小学校といい、日本人しか行けなかった小学校。もう一つは公学校といい台湾人が日本語を勉強する小学校、そして蛮童教育所という原住民の小学校です。この教会に来ている人の多くは、お父さんとお母さんが台湾人でありながら、自分は「小学校」を卒業し、第二高等女学校/第三高等女学校を卒業(第一は日本人しか行けなかった)・中には師範大学卒業者や日本留学経験ありという経歴の持ち主達。

その当時、台湾の人で「公学校」ではなく「小学校」に行ける人というのは、ちょっと特別な家庭で育ったんですって。子供が「小学校」に行くためには、家庭が「日本語家庭」という認定を受けなければならず、そして台湾の人が小学校に入るために試験があったんです。「日本語家庭」とは、「日本語のみで生活している、日本国民の家庭である」という認定であり、「小学校」の入学試験は、いうなれば「台湾に生まれ育ったけれど、あなたは日本国民であるか」というテスト。そうでない一般の台湾の人たちは「準国民」と呼ばれていたんだそうです。


日本語家庭に認定されると、配給も台湾人と日本人の差の二分の一が余計にもらえたのよ。そうでないと、すっごく少なかったの。差別がいっぱいあったのよ。

小学校入学試験

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台湾出身の人が、小学校に入学するためには、家が国語家庭でも入試試験を受ける必要がありました。その内容をちょっと伺いました。

目の前に扇子とうちわを出されて、これを説明しなさい。国旗を目の前に出され、「日の丸」と言えるか。ただ「旗」だけではダメ。「一週間にお風呂に何度入るか」という質問もあったんだそう。このお風呂の質問に対し、正直に「うちは、そこまでお金持ちではないので、せいぜい週に二回が限度です」とか「うちにはお風呂がないので、いつも水浴びで澄ましています」など正直に答えることがポイントだったんだとか。この当時、家に風呂桶がある家庭はとても稀で、毎日燃料を買ってお風呂を沸かすのは非常な財力を有する人しかできなかったんだそう。ということで、五歳児が「毎日お風呂に入ります」といってもウソはばればれというわけ。

さて、ということで、ここにいる人たちは、親が台湾人でも「日本語のみ」を使って育ち、小学校は日本人しかいないので、学校の中でももちろん「日本語」しか使わず、当然友達も皆「日本語」しか使わず、日本の教育を日本人とともに台湾で受け、日本人として育ってきた、そういう台湾育ちの人達が多くいるわけです。中には親が台湾人でも発音がおかしくて差別されないように「日本語のみ」を使うよう育てられた方もおられます。ということで、心の中は「日本の精神」を抱えた人がたくさん。趣味は和歌・俳句。よく句会や日本の新聞社に投稿していますという人もいらっしゃいました。



当時、父の仕事で広州に行ったんだけれど、うちは日本語家庭に認定されていたし、私も小学校に行っていたから、日本人と同格に扱われてね、検問はスルーで済んだのよ。

戦後、彼女たちの心のよりどころを求めて

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さて、戦後、台湾の日本人たちは日本に引き揚げ、台湾の人たちは、日本語を使って生活する環境がなくなり、日本語の使用が禁止され中国語が強制されます。多くの台湾人はそれでも家の中などでは母語の「台湾語」を使うことがなんとかできましたが、しかし、彼女たちにとって、「台湾語」は使えても、それが心に響く言葉かどうかというと、それはちょっと違いました。やはり使い慣れた「日本語」の方がより心に響く言葉なわけです。そして特に宗教に関することは、その人の「心」の奥に最も響くこと。使う言葉も「自分の心に最も近い言葉=日本語」を使いたいと思うのは、自然なことでしょう。そのように日本語を母語としていたクリスチャンの彼女たちは、教会に行っても「台湾語や中国語」での礼拝に心が渇いていました。そして仲間を集い「日本語を使って礼拝をする」という活動を始めました。それが、今の日本語の教会の前進なんだそうです。

“日本人”へ託された教会

彼女たちは、自分たちのような「日本語を母語として生活していた台湾の人」のことを「日本語族」と呼んでいます。

そんな日本語族は2008年現在で75歳以上の、ちょうど、終戦時12歳(六年生)以上の人たち。75歳より若くなると、めっきり日本語力が低下するそうです。あと10年後、あとどれだけの日本語族が生き残っているかと考えると・・・・。そのことを考慮して、今後日本語教会を担っていくのは日本人だ、日本人に託そう、と日本人駐在員が多く住む「天母」に、皆の献金で新たに日本語教会設立を決定。それは「日本語を使って歩んできた人生・日本人として育ったアイデンティティを、日本語の礼拝という形で、『日本語を母語とする人々=日本人』につないでいきたい」という熱い思いだったからなのです。


昔私は、モデルをしていてね、初めての仕事が、化粧品のCM撮影だったんだよ。初めて夫に頼らずに持つことができたお給料をすべて、天母の教会設立に献金したよ。(このおばあちゃんは日本人の90歳)
ところが、天母は台北市と言えどかなりの北部。皆さん、もうお年寄りなので、天母に教会を買ったものの、足腰が悪くなってしまって、自分たちでは行けないんですって。だから、今城中の教会には台湾の人が集まり、天母には日本人があつまっています。


日本時代は、いろいろと差別されたり、学校でいじめにもあったりして、とっても内気だったの。けっして、日本時代がとてもよかったというわけではないわね。でも、いじめにも凛と立ち向かう術を覚えてから、日本人にもいじめられることはなくなったわよ。

牧師のうすきみどり先生(写真左)に話を伺いました

日本から沢山の牧師が世界中に派遣されていて、実は、外国の地で牧師が担う仕事はもちろん伝道もあるけれど、その地に住む日本人の心や法律面でのケア(ビザの問題や、結婚問題、宗教・文化の違いによる心の病など)も大きな仕事だったりするんです。日本にいるとき、何人かの牧師達から、「海外での牧師が担う責務はとても重大だから、心して務めなさい」ときいていました。でも、私は台湾にきてみてから、何がびっくりしたかって、日本語の教会なのに、会員の多くが台湾の方で、その方達が率先して日本人/台湾人の面倒をみて、教会の運営を担ってきているということ。これは他の国でもあまり聞いたことがありません。私は台湾に来てまだ一年半ですが、毎日多くの台湾の人々・日本の人々に支えられ感謝溢れる日々を送っています。そして日本人としての台湾に対する無知さ加減に、反省することばかり。

ぜひ皆さんも、お気軽に教会に遊びに来て、観光では知り得ない台湾に出会ってください。みんなで心よりお待ち申し上げております。

インタビューを終えて

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インタビューが終わった後に、「私はなんて無教養な人…」と思わずにはいられませんでした。「日本語が本当にお上手なんですね」なんて、とんでもなく失礼な言葉です…(失笑)教科書で勉強し、知識として知っていても、実際に体験して「知る」ということには大きな違いがあるんだとよくわかりました。今回の痛い失敗を通して、台湾の更に深い一部分を知ることができたのは、NAVIにとっての大きな成長です。時間があれば、もっといろんな人にインタビューして、それぞれの人生ドラマを分かち合いたいですね。でもその前に日本のおばあちゃんに電話をして、そして228記念館に行こう!と心に強く思ったNAVIでした。

台北NAVIからリポートでした。

■詳細情報

★天母国際日語教会
住所:台北市中山北路728巷9弄3之1号2F
礼拝:日曜10:40~12:00

★城中教会(国際日語教会)
住所:台北市中華路1段21巷7弄11号
礼拝:日曜15:00~16:30

上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

記事登録日:2008-04-08

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