下駄がこんなに心地よいとは、台南に来て初めて知りました
こんにちは、台北ナビです。
西門路二段のロータリーに百年老舗の下駄やさんがあります。
朝の9時、通りかかったナビは、店開きをするのに掃除している三代目の郭宗興さんに会いました。お茶でも飲んで待っててと言われたので、急ぎませんからと言って座っていたのですが、親切な郭さん、箒を扱いながらお店のことを話し始めます。
日本でも下駄にあまり注意したことがなかったナビ。
今日「府城百年木屐老店」へやってきて、台湾で日本が伝えてきたものを新たに認識しました。日本の下駄は、桐か杉の木で作られますが、台湾はほとんどが松。ヒノキも使用されるそうです。やはり気候や風土によっての耐性や通気性なども関係するのでしょう。
その歴史
一代目の郭全祿さんは、日本統治時代の初期、日本人が経営する木屐店に丁稚奉公に入りました。見習いも経て独立することになり、下駄工場を設立。百年続くお店はこうやって始まったわけです。第二代は、郭澤根さん。現オーナーのお父様です。工場は今の場所の近くにあったそうですが、道路の開通で立ち退きとなり、1920年代に今の場所へ移動し、店を開きました。現在もこの場所は店舗として使用、2階は倉庫で、在庫が足りなくなったら即近くの工場から運ばれてきます。一代目、二代目の当時は下駄の全盛期、日本統治時代で、下駄は日本人や裕福な人たちが履くもので、一般の人は草履でした。
第三代の郭宗興さんになって、時代は木から布、そして、1960年代にはビニール素材のスニーカーなどの時代へ突入していきます。台湾の伝統産業の多くはこの時代に消滅したり、耐えかねた末、工場を中国などに移したりとなっていきました。郭宗興さんも一時同じ場所で「振行膠鞋行」という普通の靴屋さんに移行しましたが、2010年代になって、元の本職である下駄やさんへと戻ったのです。
時代の波にもまれて
これです
初代郭全祿さんの時代の下駄が、店看板の左に掛けてあるのでご注目。昔のゲタは紐の部分は布ではなく、椰子の実の繊維でした。丈夫で長持ちの椰子は、当時中身を食用で使用された後、殻が工場に運ばれてきました。工場前は椰子のカスでいっぱいになっていたそうです。藤蔓や縄も試されましたが、椰子が一番だったそうです。
注目は下駄の高さが結構あること。5cmくらいでしょうか。台湾でも後に魚や野菜市場などで働く人が愛用していた下駄も高さが必要でした。木のよさは水を吸収しやすく、乾きやすいところ。布は一旦濡れると乾きにくいのと、ビニール素材は濡れた時の感触はよくありません。郭さんは、オランダの木靴を例に挙げてくれました。労働者が穿いていた木靴の実用性は、下駄に通じるものがあると。
郭さん曰く、台湾の下駄がオランダの木靴のように観光商品として価値のあるものになっていくのが、理想だし夢だね~と。
お爺さんの時代からお父さんの時代に全盛期だった下駄。
当時は、1日2000~3000足売れたという時代でした。それが1960年代のビニール時代、下駄は裕福な人から貧乏な人が履くものに成り下がり、やがて、ベランダや浴室用に格下げとなりました。
全盛期100軒ほどあった下駄やさんは10分の1に減り、2014年現在、下駄やさんは台南に2軒、台中に2軒、北部に1軒とたったの5軒だそうです。
機械で型を作っても、最後の段階は手作業になる下駄。ナイフのような鋭い刀で削ぐ作業は、一歩間違うと手を切るだけでなく、その刃の鋭さで指を切り落とすこともあるという高度な技術を要するため、若い人はある程度の給与を保証してあげてもやりたがらないのだそう。郭さんの工場は現在5人。これでせいいっぱいなんだそうです。
下駄ブーム来るか
さて、近年ゲタの需要が徐々に増えてきたことと、台南市が百年老舗店を重視し始めた関係で、郭さんは再び下駄オンリーの店に戻り、毎日楽しそうです。
静かなブームの理由は、一時期台湾では化学製品が含まれている食品や商品などの危険性が大きく取り上げられ、自然に帰れブームとなりました。木は自然の素材であること、通気性や防腐性に優れていること、体に優しいことなどで、下駄のよさが見直され始めました。健康重視の現代人、特に40~70歳台の知識人たちを中心に若者たちにも好まれ始め、静かに広まってきているのだそうです。
そして、現代人の希望に沿ってデザインも多様化し始め、高さや幅、全体の型などの他、紐に限ってはたくさんの種類があります。木が濃い色の下駄があるのですが、これは一度焦がしてからこすったもので、感触もいいしより健康的だそうです。
オーダーメイドは速い!
まずは欲しい形を選びます
すぐ作れるよ!とのお声にナビも一足オーダーメイドすることに!
まずは木のデザインを選びます。店頭に並んでいるのはあくまでサンプルです。基本はオーダーメイドなので、好きなデザインと柄が決まったら郭さんに聞いてみてください。
あまりのデザインの多さに何種類あるんですか?と聞いたら、50種くらいかなあ、紐も30種以上だよと言われ、迷う~~、でも、ええいっと選んでみました。
笑顔が明るい郭さん、お話しも楽しい
小学校3年生から下駄作りを手伝い始めたという郭さん。ちょっとどれでもいいから履いてみて、ちょうどいい大きさのを持ってくるからと、2階に上がって持ってきたのは、ナビの足にピッタリ。高さは高めと低めが合ったのですが、歩いた感じ、高めのほうが背筋がピッと伸び、下駄の重みもなかったので、高いのにしました。
選んだ紐が下駄の穴に差し込まれていきます。
あっという間に出来上がり!
紐を緩めときつめにしてもらい、歩いてみたらきつめのほうがいい感じだったので、そうしてもらいました。
最後に紐のきつさを調整して
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10分かからないうちに、完成しました!
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郭さんの下駄にもご注目
店頭のものは200元~6000元と様々。
子供用のかわいいのもいっぱい。底には音がしないようにゴムが張られていますが、最近は音をさせたい人が増加中だとか。
紐が切れたりした時は、持って行くといつでも修理してくれます。下駄愛好者には、30年履き続け、下駄の前方が指の形でへこんでいる人もいるそうです。
郭さんの下駄は、早期の下駄タイプ。履きこんでいて、気持ちよさそうです。
下駄って最高
昔は嫁入り道具の一つだった下駄。台南出身の女性は嫁入り道具が一番多い、と昔から言われていますが(今も?)、それら道具の中に必ず男女の下駄を入れたそうです。
また、台湾では靴をプレゼントするのはよくない、という風習もあるのですが(送られた方が逃げてしまうので、男女間ではご法度)、下駄に限っては大丈夫だそう。靴なら1元でも支払ってもらったほうがいいそうです。そしたら、逃げられないとか?
台湾で下駄をオーダーメイド。
ちょっと面白い体験でした。
明日から30年履き続けられるよう頑張ってみま~す♪
以上、台北ナビでした。