パイワン族とルカイ族、3つの村が合わさった禮納里へ行ってきました!
こんにちは、台北ナビです。
今日は、屏東県の瑪家鄉瑪家村と三地門郷大社村、霧台鄉好茶村が統合された「禮納里集落Rinari」に行ってきました。この3つの村は2009年の八八水災(莫拉克風災)によって、大きな被害を受けたところです。八八水災で最大の被害を受けたのは、高雄縣甲仙鄉小林村というところで、山崩れと土石流によって村全体が埋没し、500人近くが生き埋めとなりました。瑪家村、大社村、好茶村もほとんどの家屋が半壊もしくは全壊し、住民たちは近隣の瑪家農場に避難しました。
仮の避難所になった瑪家農場は、やがて世界展望會(村の方の話しでは、ほとんどは台湾3大仏教団体である慈濟基金會)の援助があって、この瑪家農場に永久家屋が建設されました。三角屋根の小さな家が集合した村は、村人たちの文化習慣で各家の壁に部族を象徴する絵が描かれていたり、装飾がなされていてとても可愛らしいです。
新たな集落が形成されたことで、「禮納里集落Rinari」という名がつけられました。Rinariは、「我們一起走,大家一起往那兒去的地方」(一緒に行こう、皆が一緒に向かう方向へ)というような意味です。2011年、張榮發基金會も行政院重建會と教育部、屏東縣政府と協力し合って、原住民文化の発展を根底に子供たちが教育受ける権利や保護のため、「長榮百合國小」を完成させました。張榮發氏(1927~2016)は、長榮集團(Evergreen Group)の創始者かつ総裁で、東日本大震災でも個人で10億円寄付された方です。
パイワン族とルカイ族の村
「禮納里集落Rinari」は、四方を山に囲まれた視野がどこまでも広がっていくような土地で、パイワン族とルカイ族の生命力にあふれています(瑪家村と大社村はほぼパイワン族で、好茶村はルカイ族なので、全体的にパイワン族の人口が多いです)。
瑪家鄉瑪家村
パイワン族の村で、「馬卡扎亞扎亞」、「排依路絲」、「他拉巴共」の3つの村が統合され、瑪家村(Makazayazaya)となっています。北宋朝の時代には瑪家集落はすでに存在していたそうで、瑪家社の大頭目は、パイワン族の五大頭目家系の一つでもあります。
三地門鄉大社村
パイワン族の村で、三地門鄉は彼らの発祥の地。人口増加によって徐々にほかの地へと分散していきました。拉瓦爾亞族(パイワン族は、拉瓦爾亞族(Raval)と布曹爾亞族(Butsul)に分けられ、三地門は拉瓦爾亞族)の各社の中で大社は最も古い集落で、青山、安坡、口社は大社から分立していった集落と言われています。現在大社村では340年前の達瓦蘭(Tavalan昔の大社の名)から持ってきた遺跡が存在しています。
霧台鄉好茶村
ルカイ族が住む村で、今回ナビたちが宿泊などでお世話になったのは、好茶村の古茶布安集落Kochaponganeから来た人たちのエリアです。古茶布安の意味は「雲豹的傳人」(雲豹の伝達者)。集落の入口には、ルカイ族の象徴である雲豹と白百合を頭に飾った男性の銅像があります。
民宿はなく、「接待家庭」で
ナビたちがここへ到着したのはもう日も暮れた時間でしたが、集落の人たちが集まって讃美歌を合唱するきれいな歌声が聞こえてきました。そう大きくはない「禮納里集落Rinari」ですが、3つの村が集まってきたので、教会は何と9カ所もあるそうです。ここには、500戸足らずの戸数があり、若い人たちは都会に出ていますが、ご年配夫婦の家庭は、接待家庭(ホームスティ)を行い、多くの観光客を受け入れています。このシステムも長榮酒店がトレーニングを師事したそうで、台湾で最初の原住民集落での「旅遊産業發展策略聯盟」も設立されています。部族独特の大切な人文歴史や文化習慣、環境を維持しつつ、皆の収入源にもなるので集落の発展の助けとなっています。また、若者たちの集落への回帰にもつながるし、観光客はほかの地では味わえない心に残る旅の思い出を作ることができるでしょう。
ナビたちはこの日、「AKAME」というルカイ族の方たちが開いたレストランの食事に来たのですが、予約できた時間が21時だったので、近くで宿泊することにしました。ネットで調べたところ「好茶集落懷舊棧」という「接待家庭」が「AKAME」のすぐ近くだというのがわかりました。
「接待家庭」は一般の方の家なので、室内の様子はまさに家、という感じです。ナビが泊った部屋も壁には彼らの服が入ったタンスや布団の袋が置いてあったりして、親戚の家に泊まりに来た感。シャワーも彼らの家のシャワ-を使用するので、洗面用具やタオルは持参になります。どのお宅も隅々まで掃除が行き届いていて清潔で、かつホスピタリティにあふれているので、安心して楽しく過ごすことができます。
チェックインは15:00以後で、チェックアウトは12:00以前。宿泊費は1人1000元で、ツインベッドの部屋でも1人計算になります。「接待家庭」を行っている家庭はいくつかあるので、この日ナビたちが予約した「好茶集落懷舊棧」の石さんの家は他にも「AKAME」の21時台の予約者がいたので、ナビたち4人のうち2人は、石さんのお姉さん(Alajiさん)の「接待家庭」に移動しました。
ナビがお世話になったパイワン族のLavakauさん(左)とルカイ族の Alajiさんのご夫妻。とても温かく迎えてくれました
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ご夫婦のお宅のテラスで朝食をいただきます
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「接待家庭」はE-mailかFBからの予約で、先方の確認後、指定された口座に予約金(半分くらい)を振り込みます。予約には「姓名」、「日期」、「連絡電話」の記入を忘れないように。
入口には奥様の家系の石碑、頭目の家には必ず石碑があるのです
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一階の様子、お2人は頭目の家系です
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屏東の家にはご主人の家系のものがあり、ここはルカイの村なので、奥様の家系のPacekljが刻まれています
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鴨居の彫刻も先祖代々からのもの
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果物もついています
ルカイ族の以前の好茶村は600年以上の歴史があり、ここ「禮納里集落Rinari」へ越してきた彼らも昔住んでいた村へ帰ることがあるそうです。徒歩だと山道を8時間も歩くそうですが、そこには完全保存された石板屋集落が存在し、国内で唯一の原住民集落の二級古蹟として認定されています。初期の好茶村は西ルカイ族の北大武山の集落のことを指し、新好茶村は1977年に北大武山から南隘寮溪に移動してできた集落のことで、現在の屏東県霧台鄉好茶村のことです。そして、今回の「禮納里集落Rinari」は、水害後に逃れてきたところで、集落の壁には初期の村の美しい景色が各所に描かれています。