タイヤル族の人々が暮らす比較的新しい集落です
こんにちは。台北ナビです。
台北市内から車で約1時間。桃園市復興区にある基国派集落にやってきました。三民地区を挟んで大渓区に隣接し、復興区の入り口に当たる場所に位置しています。お茶の工場跡として知られる大渓老茶廠にも近い場所にあります。
なだらかな高低差のある沢を取り囲むように広がる基国派の集落
新北市の三峡区から復興区にかけての山中には、以前から台湾原住民タイヤル族の人々が住んでいました。新北市烏来や宜蘭県に住むタイヤル族とも深い結びつきがあり、物資や人的な移動が盛んに行われていたとされています。
基国派集落がある場所は、マメ科でツル植物のシイノキカズラが自生する場所として知られていたものの、集落として発展するのは比較的新しく、日本統治時代になってから。当時は稲作が行われていましたが、現在は野菜や花卉栽培などの園芸農業が盛んです。
観光名所は石造りの教会
台湾の建築物では珍しい石造り
そして、この集落の観光名所は、1964年に建設された石造りの基国派教会。集落の住民が集落内にある蝙蝠洞と呼ばれるコウモリがたくさん住む洞窟の近くで岩を採取し、細い道を歩いて運んで建設したとか。入り口は鍵穴をイメージしたデザインになっており、「天国に続く扉」を表しています。
手狭になったため、現在はこの教会の手前に地域のコミュニティーセンターとしても利用される新しい教会が建設され、現在開放されることは少なくなってしまいましたが、古い教会は集落のシンボルとして残され、週末などには多くの観光客が訪れます。
今も残るタイヤル族の伝統文化
鮮やかな模様の布
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かつて機織りの上手な女性は結婚で有利になったとか
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タイヤル族といえば、男性は狩り、女性は機織りをする伝統文化がありました。ただ、機織りについては日本統治時代に禁止されたほか、織り機も没収されてしまいました。そんな中、一部の人たちは織り機を山の中に運び入れ、隠れて機織りを続けたといいます。
また、戦後になって機織りを再開した人もおり、今でこそ以前のような女性のたしなみとしての性格は薄れてしまいましたが、それでも自分で着るための服や小物を作る人が少なからず残っています。
伝統衣装一式を着てくれた林さん。すべて自分で手作りしたもの
基国派でも母親から教えてもらったという女性がいます。林秋妹さんもその一人。地機を巧みに扱い、伝統衣装一式を作れてしまう腕の持ち主です。
復興区内では、自分たちが本来持つ伝統文化を取り戻そうと、カルチャースクールで機織り教室が開かれ、若い人たちが一から学ぶ動きが出てきています。
桃園のタイヤル族文化を知りたいのなら角板山へ
さて、基国派を含む復興区の歴史をもっと知りたいと思ったら、基国派集落から車で約15分の場所にある角板山にある復興区歴史文化館に足を運んでみてください。
タイヤル族の移住の過程や、日本統治時代の台湾総督府がタイヤル族集落に対して行った統治の様子、石門ダムの建設や、産業の発展などについて学ぶことができます。
また、角板山にはたくさんの飲食店や雑貨店があるほか、桃園市の水がめ・石門ダムの風景が見られるほか、夏にはここから近い拉拉山の名産、桃を使ったピーチジュースが楽しめますよ。
以上台北ナビがお届けしました。