新北市の最南端にあるタイヤル族の集落です
こんにちは、台北ナビです。
MRT「新店」駅から車で約1時間半の新北市烏来区福山集落にやってきました。この集落は、住人のほとんどが台湾原住民タイヤル族で、独自の文化が残っています。バスは走っておらず、訪問には観光ツアーへの参加、レンタカーやレンタルスクーターの利用、タクシーのチャーターが必要となりますが、簡単には到達できない場所だからこそ、隠された魅力がたくさんあるんです。
烏来で最初にタイヤル族が住み着いた場所
福山集落は、台北から来ると末端の突き当りにあるみたく、そこから先は進めなくなっている印象を受けますが、桃園市や宜蘭県の境界に近い場所にあります。古来に桃園以南に住んでいたタイヤル族が人口増加に伴って烏来に北上してきた時、最初に住み着いた場所が福山集落だといわれています。
そのため以前は桃園や宜蘭にある近隣のタイヤル族の集落と緊密な関係にあり、交易や結婚などが頻繁に行われ、交流と交通の拠点となっていました。
現在の福山集落は大きく分けて屯鹿、卡拉摸基、大羅蘭、李茂岸の4地域に分かれていて、人口は約800人。少子高齢化が進んでいますが、働き手は烏来の温泉街でサービス業に従事していたり、平日は台北などで働き、週末に集落に戻ってくるんだそうです。
屯鹿(下盆)Habun(Hbun)
福山部落の入り口。トーテムポールがお出迎え~
福山集落を訪問する時、最初に通るのがこの屯鹿地区です。タイヤル語で2本の川が合流する場所という意味で、哈盆渓と南勢渓の合流地点に位置しています。
以前は別の場所が屯鹿地区と呼ばれていましたが、1961年の台風で交通が寸断され、生活に大きな影響が出たため、自治体の働きかけなどがあって現在地に集団移転しました。タイヤル族には、もともといた場所と同じ地名を移転先にも名づけることから、新しい地区も屯鹿となりました。
民家のほか、雑貨店、教会があります。また、コンクリート壁にはパステルカラーのペンキでタイヤル族の生活を表現したカラフルな絵が描かれていて、訪れる人に、ここがタイヤル族の領域であることを伝えています。
この地区には屯鹿教会という教会があるのですが、そのローマ字は「KYO KAY HABUN」となっています。実はタイヤル語で教会は「Kyo Kay」。日本統治時代に伝わった日本語発音が外来語として現在でも残っています。
そして、道路と南勢渓の間は急斜面のがけですが、畑なんです。平らな場所が限られている山間部では、こんな場所でも農作業をしなければならないんですね。
卡拉摸基Klmut(Krmut)
福山部落の全景です。左側が大羅蘭地区、中央が李茂岸地区、右側が卡拉摸基です。
南勢渓の対岸に渡れる橋が架かっていて、旧集落跡や過去に猟場だった場所に繋がっています。
地区名の卡拉摸基はカタカナで表記すると「カラモジ」と書くことができますが、何かの日本語に似てませんか?………実は「金持ち」から来ているんです。日本統治時代になって外部からこの地を訪れた人が、この地区に住んでいる人は、ほかの地区に住んでいる人より裕福な暮らしをしているように見えたことから、この名がつけられたそうですよ。
橋を渡って斜面を登った道路からは、福山集落全体を見渡すことができます。
大羅蘭Tranan
エメラルドグリーンの川の水。とっても綺麗です
福山集落全体の原住民語名称にもなっている大羅蘭地区。この地を流れる大羅蘭渓には苦花魚と呼ばれるコイ科の魚がたくさん生息し、この地にやってきたタイヤル族の先人たちが、ここに住もうと思った理由の一つになったとか。
大羅蘭には日本統治時代に建設された農業用水路が残っています。李茂岸地区にあった水田へ水を届けていました。戦後に拡幅工事が行われ、当時の面影は残っていませんが、トンボやチョウチョ、カエルなど多くの昆虫が姿を見せ、気分転換に最適な散歩道になっています。
大羅蘭と李茂岸の間には、1969年に建てられた石造りの教会があります。2000年代には牧師が常駐しなくなり、荒廃した時期もありましたが、最近になって映画「セデック・バレ」でモーナ・ルダオを演じた林慶台さんが牧師として教会を管理するようになり、支援者からの募金で修繕・改築が施されました。
新たに増築された2階部分には大きな多目的ルームが設けられ、子供たちが放課後に集まって遊んだり勉強できるスペースになっているほか、集落の住民たちが親交を深める場所になっています。
明るい2階部分。夜には室内の明かりが外に漏れ、ムーディーな雰囲気になります
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ガラス窓には改修費用を出した人の名前が印字されていました
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また、近くには1917年(大正6年)に、原住民の子供たちに初等教育を行う蕃童教育所として開校した福山小学校があります。校門にはタイヤル族がこの地に移住してきた時の頭目「ヤウィ・ブナ」氏の木像が飾られているほか、人々の生活を記録した資料館もあります。
校庭はヘリコプターが離着陸できるようになっています。2015年には台風の影響で交通、電気が約1ヵ月に渡って寸断される被害に遭いましたが、同校を拠点に支援物資が運ばれ、不自由ながらも基本的な生活だけは送れるように配慮がなされたそうです。
資料館
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lokah ta kwaraとはタイヤル語で「みなさんこんにちは」の意味
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3本の川が合流する場所という意味の李茂岸。山間部では珍しく平坦な土地になっています。日本統治時代に建設された農業用水路の水はここまで引かれ、稲作が奨励されたそう。もともと原住民は白米を食べる習慣がないので、今では稲作は行われていませんが、水田跡地を利用してドラゴンフルーツや野菜の栽培が行われているんだとか。
以前は烏来全体の中で最も栄えていた地区。いまではのどかな雰囲気が広がっています。民家の壁には原住民の儀式をテーマにしたカラフルなイラストが描かれており、写真の撮影スポットにもなっています。
実は福山集落のある場所も、地中を掘り進めれば温泉が湧き出るとされています。ただ、同地域は水源保護区に指定され、開発が制限されているほか、タイヤル族の人々も、自然を守りたいといろいろな取り組みをしているんだそう。雄大な自然が残されているのには、たくさんの努力があっての結果なんですね。
温泉街の奥に広がっていたディープな世界。みなさんも足を運んでみてはいかがですか?
以上、ナビがお伝えしました。