宝町芸文中心(台東市)

寶町藝文中心

閉店・移転、情報の修正などの報告

2003年から台東市がリノベーションを開始し、完成した建物から歴史資料などを展示する展示館として一般公開しています

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日本統治時代、台東市内には約6000坪の敷地内に日本人用の住居群がありました。そのエリアは「寶町藝文中心」と名付けられ、中山路と寶桑路の交差点に位置しています。1936年(昭和11年)に建てられた官民宿舎群は全部で6棟あったのですが、ここは比較的完全な状態で残っていました。いちばん最初に公開された建物はかつて台東市長官舎だった木造家屋で、リノベーションを施された建物は、77年の歴史を経たとは思えないくらい、見事によみがえっています。「寶町」というのは、台東がその昔「寶桑」と呼ばれていたからだそうです。1920 年(大正9年)、ここは「台東街」と改名されました。建物の広さは甲(25坪)、乙(20坪)、丙(18坪)、丁(10坪)で分けられ、市長さんのは甲です。

内部には、昭和12年2月21日、長谷川組が上梁を設置したという記念の碑がありました。日本統治時代の写真や台東市の起こりなども含め、この土地を知るための資料が展示されています。が、この場所はほんの序の口に過ぎず、今後4,5年かけて残りの空き家も復元する計画だそうです。

この建物の後方エリアは、ほぼ廃墟に近い建物が多く、時間がかかるだろうなというのは見てわかりましたが、一部はすでに土台が完成していたり、かろうじて残っている塀や門の形などは残し、できるだけ昔に近いものにしたいという黄里長の熱い言葉と姿勢がとても印象的でした。完成した暁には、たぶん嘉義市の檜意森活村のようになるのでは?とナビは想像しています。


取材協力:交通部觀光局花東縱谷國家風景區管理處(日本語)

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上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

スポット登録日:2017-06-22

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