アミ族の文化や歴史、風習や食べ物など、ここに来たらすべてがわかります
こんにちは、台北ナビです。
花蓮は台湾国土の8分の1を占め、台湾人、外省人、客家人、原住民が4分の1ずつ住むという、他の地方にはない民族体系を形成しています。2016年現在、約20万人という原住民最大数を誇るアミ族。今日は、アミ族の集落としては一番大きい「太巴塱」にやってきました。太巴塱(タパロン)はアミ族の言葉で「蟹」を意味し、渓流の中に蟹がたくさんいるため、この名前が付けられました。人口は約4600人で、4つの村(東富、西富、南富、北富)に分かれています。
かつて奇美集落から山越え谷越え、ここに居住の地を見出した「太巴塱」の人たちは、紅糯米や黒糯米、コーヒー、檳榔などの農産物を中心に、養鶏や養魚などの何百年も続いてきている生活方式を守りつつ、現在は手工芸体験や集落内の案内、原住民料理の提供など、観光客にアミ族の伝統文化を紹介する活動も積極的に行っています。
「太巴塱」の地は台鉄「光復」駅の近くの「花蓮觀光糖廠」の後方を流れる光復渓と嘉農渓を越えた一帯。駅の反対側には、アミ族住民数では「太巴塱」と並んで、2大集落と呼ばれる「馬太鞍」が位置しています。日本統治時代は、「馬太鞍」は大和、「太巴塱」は富田と呼ばれ、大和という名は消えましたが、「太巴塱」内では、通りや場所名に富田が多く残っています。また、光復郷は、野球選手の故郷と言われるほど、台湾野球界の有名選手を大勢輩出しています!
那麽好・Y讓牧師
那麽好牧師
那麽好・Y讓牧師
ナビは、2010年に「太巴塱」に来たことがありました。それから6年を経て、今回は集落内の「太巴塱紅糯米生活館」を訪れ、那麽好・Y讓牧師(以下、那麽好牧師)から様々なお話しを伺いました。
真夏の太陽が照り付ける中、「生活館」に入ると、優しい笑顔の那麽好牧師が佇んでいらっしゃいました。その笑顔は周囲を柔らかく包みこむような雰囲気を醸し出しています。話し方も穏やかで、聞くものの気持ちを落ち着かせ、平和を感じさせてくれる口調で、クリスチャンではないナビですが、ぜひ日曜日の教会で牧師の訓話を聞いてみたいと思ったほどです。那麽好牧師を慕う人は多く、「太巴塱」以外の集落からも訪れる人達も多いのです。
明るくて、風通しもよく、快適!
牧師はここの集落で生まれ育ちましたが、父親は玉里集落の出身で、母はここ「太巴塱」の人。アミ族は母系社会なので、男性が女性の家に婿入りするのが一般的なのです。兄弟は5人いて、ご長男は「太巴塱」で婿入りし、牧師を含め4人はいったんこの地を離れたそうです。アミ族集落はどこもそうですが、農業漁業に携わる人々がほとんどなので、若者は皆都会に出ていきます。が、ある程度の年齢になったら戻ってくる人たちも多いそう。故郷に戻ると皆自分の家の畑で野菜を作ったりして気ままに暮らします。「太巴塱」ではアミ族本来の野菜を多くとり、肉をあまり食べない生活に戻るため、集落にはかつて112歳まで生きられたお爺さんがいたそうです。牧師はお爺さんが99歳の時に会ったけど、野菜スープを食べていたよ、と話してくださいました。仕事柄、集落のいろんな方に会う那麽好牧師さん曰く、ここは皆長寿で、病気の期間も短い(=寝たきりの人がほとんどいない)んだよ、とのことでした。特にこの地でしか収穫できない有機の紅糯米は体にとてもよいそうですよ。1年に2回収穫でき、2回目は若干色が薄くなるそうですが、この生活館の周囲も紅糯米の田んぼでした。集落には4~5種の糯米を植えていますが、米の中のルビーとも呼ばれるこの紅い糯米は、風味もよく、アイスキャンディーやアイスクリームにもなり、館内では商品を販売していますし、壁を見ると、紅糯米も紹介がありました。確かにルビー色と言えますね。
アミ族の囲炉裏。石は家族を表し、皆で鍋を支えています。常に火が燃え、外出時には灰をかけて火を消したそう
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魚や肉を燻したり、保存食を上部に置きました
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ショップコーナー
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アカザという植物ですが、アミ族は昔から食べているスーパーフードのキヌアです
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「太巴塱紅糯米生活館」では、食事の提供もしています。この日ナビがいただいたのは、特色套餐(スペシャルセット)280元。歯ごたえのよい肉厚のチキンの上には、紅糯米の麹と刺葱という香りのよい木の葉を刻んだソ-スがかかり、そのとってもいい匂いが大いに食欲を誘ってくれます。かわいいサラダはパプリカとキノコにプチトマト。スープは、ゴボウやサツマイモ。肉の添えには、ナスやカボチャのテンプラ、野菜団子は過猫菜と言われる野菜で、おにぎりには紅糯米が混じり、下に敷いてあるのはパンの樹の葉。チキンの下に敷いてあるのは、カボチャの葉でした。食材はすべて地元産で、すべてオーガニック!美味しいです。そして、がっつり食べたい人には、ピッタリの量とも言えます。食後にはフルーツもあり、ハーブ茶もよく合いました。他にも野菜小火鍋(250元)、風味餐(8品1スープで3500元)などのコースもあります。
「太巴塱紅糯米生活館」では、半日コース(ランチ、手工芸体験、集落めぐり、チキン丸焼き作り)850元/1人(10人一組)。糯米酒製作コース(伝統的な手法で作ります)850元/1人(10人一組)、手作り工芸体験コース(ガラス玉や瑠璃、天然の植物を使用)250元/1人(10人一組)なども主催していますので、興味のある方は直接「生活館」におたずねください。集落内では、阿美陶器、木彫り、竹編み、織布、伝統手工芸の教室が各工房で行われています。古い農耕、漁業、狩猟の道具が展示してある文物室もあります。
豊年祭
奇美集落の紹介でも触れましたが、太巴塱の祖先は、奇美からやってきました。4人の息子のうちの次男が太巴塱のご先祖様です。ゆえに年配の人たちは往々に奇美と連絡を取り合い、行き来し、下の世代にこのつながりを伝えています。アミ族のお正月にあたる豊年祭が始まる前日には、必ず奇美へ行って報告をするのも昔から守られてきた大切な習慣です。奇美も4日間の豊年祭があると書きましたが、ここでもそうでした。
那麽好牧師が言うには、都会へ出た若者は豊年祭の一か月前には戻ってきて、祭りの準備に入らなければならない、と。仕事を休んで戻ることになるから、そのことで仕事を失ってもそれは昔からの決まりだから、と。戻ってきた若者は村を掃除したり、整備したりはもちろんのこと、アミ族発祥の地である吉拉雅山でサバイバル訓練に入ります。年が上のものが若輩者を連れ、持ち物は山刀は必須で、それ以外は鍋と塩を携え、数週間の間は山菜を採ったり、河で魚やエビを捕ったり、山の恵みを受けつつ、食べられるものを認識し、自然の中で眠り、祖先が暮らしてきたよう生活を送るのです。自分より年上の人たちの意見はよく聞き、従わなればなりません。このような風習は奇美ほどの厳しさはないそうですが、現代の若者からすると大変だと言えるでしょう。
彼らが向かう吉拉雅山は、台湾の地図上で八里灣山と書かれ、標高924m。花蓮県の豐濱鄉と瑞穗鄉の境界にあり、原名を猫公山、又の名を猫公富士山(日本統治時代に富士山に似ていると言われていました)。アミ族は吉拉雅山と呼んでいます。海岸山脈の北側で一番高い山で、一等三角点があり、台湾の百名山として91番目に記されています。頂上には、港口 、太巴塱、奇美、馬太鞍の各集落の祖霊碑があり、アミ族の聖山として、豊年祭の前には各集落から必ず代表者がこの山へ向かい、祖霊に報告し、1年の収穫を祈ることになっています。
1年に1度の豊年祭、太巴塱の年齢階層は5歳ずつで、21~25歳が一代目で、2代目は26~31歳。祭りの多くの時間帯や内容は、男のみの参加。2日目は重要な日で、日中はその年に亡くなった人たちの家を順番に訪問します。そして、夜は28首を歌い上げ、踊りの技を競い合います。豊年祭の期間、夜は毎日歌い踊るのですが、基本毎日違う歌を歌わなければならないそうですよ。3日目は、お見合いの日。女性が常日頃見初めていた男性から、当日男性が腰に巻いているエプロンのような腰巻きをもらうのだそうですが、もらえたら交際が開始します。女性が男性にアプローチし、男性が受け身の態勢でいるのも母系社会のアミ族ならではですね。
「太巴塱」の範囲は広いので、1日かけていろいろ回りたいものです。
以上、台北ナビでした。