台湾が世界に誇る舞踊芸術集団:雲門舞集(クラウド・ゲート)の本拠地!
こんにちは、台北ナビです。淡水の丘の上に2015年4月に開幕した林懐民氏率いる“雲門舞集”。一年の半年以上を海外で公演し、世界で絶賛され続けている台湾の舞踊芸術集団です。今日はその素晴らしい舞踊芸術集団の本拠地をご紹介していきます。
雲門舞集とは?
中央:林懐民氏
1973年に林懐民氏が創設した台湾で初のプロのダンサーによるコンテンポラリーダンススカンパニーです。去年2015年までに創作された作品は、代表作の「白水」「水月」「行草」などを含め88タイトル。それまで西洋では認められていなかったアジアのコンテンポラリーダンスは、雲門舞集が踊り続けることによりその創作力や功績が認められ、世界的に彼の名は知れ渡りました。
1947年台湾の嘉義生まれの林懐民氏は、もともと小説家でしたが、アメリカ留学でダンスを学び帰国後、雲門舞集を設立します。70歳になった今も現役で芸術監督として活躍。心を静かに保つことが大切だという考えから、ダンサーには踊る前に瞑想をさせたり、書道が好きなことからダンサーたちのレッスンのプログラム組み込んだり、「行草」という作品に反映させたりしています。
淡水雲門舞集は、宜蘭出身の建築家“黃聲遠”氏によるデザイン
黃聲遠氏は宜蘭出身の建築家で、田中央聯合建築師事務所の創設人でもあり、地区や都市の改造プロジェクトをもって街全体のデザインもします。この雲門舞集の建物とその敷地内にある小籠包がいただけるレストラン「花語」は、彼が手がけました。レストラン前の蓮の花の咲く池にある“旋的冥想”は、雲門舞集早期から女性ダンサーとして活躍し、1999年の雲門2創設時に芸術監督として迎えられた羅曼菲さんの銅像。黄氏の今までの建築物はすべて宜蘭地区のみだったそうですが、淡水雲門舞集の建設をきっかけに、今後も台北地区で彼の建築家としての才能を見ることができるかもしれません。
台湾の稀に見る実力派のダンサーの星として人々に愛されてきた羅曼菲さんは、とても残念なことに2006年に病気のため亡くなり、記念像がレストラン前の池に作られました。
まるで水の中で踊っているようですね。
建築物をさらに演出する台湾有名彫刻家、朱銘氏の作品
雲門舞集の建築物を囲むようにして設置してあるのが、台湾で有名な芸術家であり、彫刻家の朱銘氏の作品たち。当初は開幕から2015年秋までの予定での設置でしたが、林懐民氏と朱銘氏が親しい友達でもあることからか、設置が延長されています。何点かの作品はどれもリアリティがあり、力強く、一緒に写真を撮る被写体としても素敵です。
1階と地下には写真展示とアートの展示
建物の前側の扉から入ると、若い頃から雲門舞集を撮り続けている台湾人フォトグラファー劉振祥氏の写真展『雲門風景』が、常設展として設置されています(1階から地下半分にかけて)。 劉振祥氏は27年間、雲門舞集を撮り続けてきました。林懐民氏は普段、他の写真家には自身を撮らせないそうですが、劉振祥氏には彼を撮る権利が与えられています。
とても印象的なのは、1992年より雲門舞集があった淡水対岸の八里で撮影されたもの。2008年に大火災が起きてしまったため、当時の本拠地は焼け焦げてしまいました。その火災の翌日に雲門舞集のメンバーが集合して撮影されました。それぞれの表情は毅然としていますが、たくさん想いの詰まった場所が一瞬にしてなくなってしまったことは、メンバーにとっても大変ショックな出来事でした。
以前の練習風景
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火災前の練習場
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現在の敷地内には、焼けた一部が残されています
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この日ナビたちは、スタッフから「雲門舞集」がたどってきた道をスライドを見ながら、レクチャーしていただきました |
地下には同じ扉からと、奥にある扉の方からも入ることができます。こちらは不定期でアート作品の展示がされています。現在の“JAM WU”こと吳耿禎氏の展示は、2016/8/4まで。JAM WU氏は雲門舞集の企画する流浪者計畫に応募し、一人旅に出て自身の創造性を、海外を旅することを通して高めてきた一人でもあります。毎年100通以上の応募のある人気の企画です。過去にLV(ルイ・ヴィトン)の芸術大賞を獲得し、台湾人では初めてパリにあるEspace Culturel LVにて個展を開催した芸術家でもあります。
雲門舞集の練習前ストレッチ
この日ナビたちは雲門舞集の元ダンサーで、今は引退をしてダンサーの指導や教育にあたっている邱怡文先生のストレッチのレッスンに参加しました。雲門舞集のダンサーたちはまず、本舞台の練習の前に1時間半、じっくりストレッチをしてから練習に臨みます。これは身体をほぐす意味もありますが、海外でいろいろな気候や土地での公演にも耐えられるよう、クーラーなどを付けずにたくさん汗をかいて、熱中症などを防ぐように身体を鍛えるストレッチでもあります。ひとつひとつの動作がなかなか難しく、普段運動不足のナビはヘロヘロになりました。とても興味深く面白かったのは、先生の指を中心として集まり、両手を挙げてそれに沿って動いていくという動作。雲門舞集の演技の中で見たことのあるあの流れるような動作でした。まるで自分が演者になったかのような錯覚を覚えました。終わったあとはとてもいい汗をかいた感じでスッキリ!
雲門舞集の元ダンサーの邱怡文先生
雲門舞集には林懐民氏率いる“雲門舞集”と鄭宗龍氏の率いる“雲門2”があります。
一年の半分以上海外公演を行う“雲門舞集”に対して、“雲門2”は台湾国内での公演がメイン。学校や病院、部落などへ出向き、より市民に近い形でのクリエーションを見せます。“雲門舞集”と“雲門2”ともに男女比率は5:5。ほとんどのダンサーは台北芸術大学の出身で、試験は2日間に分けて行われます。受験者には題目が与えられ、それにのっとってダンスでどこまで表現できるか、試験官のダンスを見てその場でどれだけ踊ることができるかなどテストされます。通常舞台で公演できるようになるまで3年〜5年はかかると言われています。
邱怡文先生のお父様は体育の教師、先生は以前陸上の選手でマラソンなどにも出場していましたが、16歳でダンサーに転身しました。20年間の現役ダンサー時代に気をつけていたことは、週の5日、8時間は踊り続けることになるので、身体のマッサージを常にし、バスタブでゆっくり浸かる、普段はよく食べること。そして海外公演の際には1日に1食は中華料理を食べること。そうして自身の健康管理をしていました。先生は娘さんを妊娠した時も現役だったので、踊っていたそうです。とてもパワフルです。そんな貴重なお話が聞けました。
雲門舞集の劇場内
画像提供:雲門舞集
この日は合わせてリハーサルの見学もさせてもらうことができました。観客席は2つのタイプに分かれていて、赤い座席の方は稼動式で収納可能。舞台演出により、バリエーションが組める仕組みになっています。公演のほとんどがこちらで行われます。通常の劇場の造りでは、照明で調整することになるので、外からの光は取り入れられないようになっていますが、雲門舞集はガラスの壁を採用したことで、外からの光や空気といった要素を取り込める形になりました。建物の外観は元々の中央廣播電台(ラジオ局)を残し、蒋介石の時代のスローガン“莊敬自強”(怖がらずに勇敢に立ち向かおう!)が掲げられていた跡もあります。