南投県の埔里は水の都、ここで造られた紙は日本へも輸出されています
こんにちは、台北ナビです。
台湾中部の南投県の真ん中に位置する埔里は、水、酒、花、美人が有名なところです。周囲が山に囲まれた盆地にある埔里の虎頭山には、台湾の地理中心碑もあります。町全体の標高は380m~700mに位置し、1年を通して温暖な気候で亜熱帯に属します。台湾西部が開発されている頃、埔里はまだ日月潭や周辺の山とともに「水沙連」の名前で呼ばれる未開の土地でした。急速な発展を免れたおかげで、昔ながらの人文資源を今でも多く残しています。
現在台湾では、時代や産業構造の変化に追いつけなくて、数多くの工場が経営の行き詰まりを迎え、「観光工場」へと経営転換を図っています。生産や製造はそのまま続けながら、工場の一部を観光客に開放するという新しい形の観光地とも言えます。
埔里には観光工場が多く、それぞれが独自にテーマをもち、敷地内を緑化や美化するだけでなく、製品の製造過程の見学や文物や資料の展示、体験施設などのサービスを提供しています。豊富な産業知識と文化を得られる新しいレジャー空間とも言えます。
製紙の魅力
今回ナビが訪れたのは、「紙匠工房」。
埔里には、現在「廣興紙寮」と「造紙龍手創館」という2大観光工場がありますが、「紙匠工房」は、3つ目の、特に紙文化に重点を置く観光工場なのです。
「紙匠工房」の場所は現在「造紙龍手創館」の敷地内にあり、埔里の観光案内センター兼DIY教室などを行っています。
こちらでは、紙の製作過程をスライドで見ることができます。
「紙匠工房」の紙は、台湾の構樹という木の樹皮から作られます。日本では、この木は梶木とも楮木(こうぞ)とも呼ばれ、上質の和紙を作る材料なのです。
灯篭や手帳造りもできます。紙の枕にビックリ!洗濯もOKだそうですよ。化工線維などが混じっていない自然のものなので、人間にとっては優しい、とてもエコな枕です。DIY教室は、40分ほど。
水の都
埔里は豊富できれいな水に恵まれ、紙造りに適した土地なのです。埔里の紙産業は、日本統治時代に始まり、岐阜県美濃市と同じ製法が用いられました。当時埔里の恒吉巷では、23軒が手造りでこの製法を用い、主に各家庭の障子紙に利用していたそうです。小さな村が紙産業で栄え、この地が「造紙村」と呼ばれた時代でした。同時に多くの紙職人が生まれ育ち、台湾の紙産業の基礎を築きました。
現在は5軒が当時の製法をそのまま受け継いでいます。小さな村を歩いてみると、シャッターの向こうで製紙業に励んでいる人たちの姿が見えました。
今では少数になった工場ですが、埔里の半銭紙(書道用)は上質なため、ほとんどが日本の東京、大阪、鳥取、山梨…各地方へ輸出されています。
紙造りを見学
「紙匠工房」の林政立さんもこの村の出身で、紙を生業にした家の3代目。林さんの友人の工場を見学しました。
ここでの工程は、紙造りの後半の部分です。
◎樹木の白皮を煮る
白皮を灰(ソーダばい)で2-3時間煮ます。木の繊維に入っている余分なものを取り除くとともに、繊維を柔らかくします。その後、煮た繊維を舟の中に入れ、水とトロロを加え、クシのような道具でよくかきまぜます。
◎紙漉き
すけたの手前から舟水をくみこみ、すけたを動かしながら紙をすきます。紙の厚さや種類によりこの作業を数回繰り返し、これを流しずきと呼びます
◎紙床(しと)
漉き終わったら“けた”から“す”を外し、“す”に濾過された紙を紙床に移します。この時、先に重ねてある紙との間に空気が入らないように注意します。一日分の紙を紙床に重ね一昼夜ほど自然に水を切ります。
◎あっさく(プレス)
その後、ゆっくりと重石やジャッキなどで圧力をかけ、さらに水をしぼります。一昼夜プレスしたままの状態にしておくそうです。
◎板はり
プレスし終わったものを紙床から一枚ずつはがし、板にはり付けます。その後、乾燥させ、包装されます。
林さんの目標
林さんは、今後かつての「造紙村」の様子を復元させるべく、活動を続けています。紙に関する資料を展示し、歴史、製紙技術などの紹介するセンターやアーティスト工房の設置、紙造り体験教室などの準備も進めています。
構樹畑に行ってみました
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こちらの構銃はもう12年
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まだ背が低い構樹
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構樹が伸びるように余分な枝を間引きします
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伝統的な製紙技術は、台湾ではもう失われつつある文化資産。観光客にも当地の製紙の魅力を認識してもらうため、観光、歴史、文化を結び合わせた「造紙村」の復元…。完成が待ち遠しいですね。
台北ナビがおとどけしました。