台湾東部台東県にある、原住民ブヌン(布農)族の村へやってきました!
~信義郷のブヌン族については以下をどうぞ~
ブヌン族とは?
原住民社会は母系と父系に分かれていますが、ブヌンは長老制度による父系氏族の大家族社会で、村の政策決定は、各家族の長老たちが集まって取り決めます。民族意識が高く、団結力も強く、民族固有言語を保っている数少ない原住民族でもあり、かつては独自の文字も持っていました。狩猟民族でもある彼らの外見は、色浅黒く、目鼻立ちがくっきり。眼光鋭く、黒々とした直毛。肩幅広く胸厚く、屈強な体格の人が多いのが特徴的。男性の場合はかなりマッチョなスポーツマンタイプなので、有名な野球選手を多く輩出しています。女性の場合は、骨細ならばかなりエキゾチックな美女ですが、がっちりタイプのブヌンの女性は足も大根で、肝っ玉母ちゃんのイメージがピッタリです。
布農部落休閒農場の始まり
1984年のこと、東部に流れたブヌン族の多くが住む台東県延平郷で、白光勝牧師は、ブヌンの子供たちを教育し始めます。当時原住民の子供たちの教育環境はあまりよくなく、大自然の中で育った素直な子どもたちは、高い教育を受けないまま都会に出た後、簡単に悪に染まってしまい、堕落した生活へと向かう傾向がありました。教育は人間の基礎を築きます。社会に出て仕事をする時には、良い教育の基礎があってこそ、人間を正しい方向に向かわせます。元々独自の文字も持っていて、民族意識が高く団結力も強いブヌン族は、白牧師の下、勉学に励みました。1992年牧師は原住民では初めての「布農幼稚園」を創立。その後1995年には、布農集落レジャー農場(布農部落文化體驗園區)を設立しました。これは、ブヌン文教基金会による施設で、ブヌン族の生活様式、文化継承と発展、レジャー産業の開発、先住民文化のPR等を目標としています。
園内には、劇場、民宿、レストラン、カフェ、ショップ、機織工房、有機農場、牧場、農産物加工工場、コンビニ、リバーサイドパーク、蝶々谷地区、山林生態公園、DIY教室などを備え、ブヌンの人たちが中心となって働いています。夏にはキャンプや講習会、DIY教室、コンサートなど、さまざまなイベントが開催されます。 台湾原住民現代芸術センター(内本鹿ブヌン文化生活館)では、台湾原住民の貴重な芸術作品が展示されています。レストラン、カフェでは地元の食材を使った原住民の料理を味わうことができ、コーヒーもなかなかの味。劇場では情熱的な原住民の歌や舞踊を楽しむことができます。
劇場・ショータイム
ナビたちは、まずショーの時間に間に合うように農場の中へ入りました。ブヌン族の彫刻などが置いてあり、彼らの民族意識の高さを感じました。ショーは、「八部和音」の合唱から始まりました。「小米(粟)の種まき祭り」の時に歌われるこの「豊作の祈り歌」。最初男たちは円を作り、お互いの肩をしっかり組み、歌いながら声を張り上げる度にステップを踏み、揺れ動きます。
歌はミツバチの群れが低くぶんぶん鳴っているような音を連想させる声から始まり、徐々に調子を上げていきます。その音は、ハーモニーの構造をくずさずにどんどん上昇していきます。低、中、高音はともに美しいバランスで、どんどん周囲に広がっていきます。最後には歌い手達の声が合わさってパワフルな音を作り出します。歌は大きな祈りの声となって天に届き、それを聞いた天が感動して粟が良く育つようになるのです。
ショータイム:10:30、14:00 休日は40分間、平日は30分間で観客が20人以上の場合に限り、ショーを行います。
お話しを聞く
ショーの終了後、ブヌン族のおばあちゃんを訪ねました。原住民名をLangus、中国語名は胡春蘭、そして日本名は西村八重子さんという大正13年生まれのお婆ちゃんです。ナビは日本語で話しました。ブヌンは昔、台湾で一番高い山「玉山」周辺にも暮らしていました。Langusお婆ちゃんもその山の一部にある「内本鹿」というところで暮らしていましたが、日本統治時代に、日本人に山から下りて住むようにと言われたそうです。今までの生活様式を変えざるを得なくなり、ブヌンの言葉も禁止されたそうです。「内本鹿」を知っている?と聞かれ、いやどこかよくわからないです、と答えたナビに彼女はそれ以上話してくれませんでしたが、その様子が、話したいけどこの人に話しても何もわからないだろうね、というような残念そうな表情に見えました。
そんなわけで、ナビは後で調べたのですが、ブヌン族は、日本統治時代に最後まで日本に抵抗した原住民族でした。特に玉山周囲に住むブヌン族の「郡蕃」と呼ばれる一群は、1932年に南方の大関山駐在所を襲撃、日本人警察官3名を殺害(大関山事件)。1934年には、東方のラクラク渓上流部で日本人警察官を殺害(玉里事件)。そして、1941年、はるか南方の北糸䰗渓畔の駐在所を襲い、日本人警察官ら3名を殺害した「内本鹿事件」を起こしました。終戦にいたるまで、日本人側からは「蕃害」と呼ばれた抵抗運動は、ほとんどがブヌン族によるものだったのです。
Langusお婆ちゃんは、パイワン族のお爺ちゃんとの慣れ染めなどを話してくれました。当時も今も年配の原住民の方が、異なる部族と会話する時の共通語は日本語です。お爺ちゃんがお婆ちゃんの村へ狩猟にやってきたのが、最初の出会い。3年越しの恋愛で結婚、子宝にも恵まれ、2番目の娘が白牧師に嫁いだというわけです。白牧師は漢人で、原住民族ではありません。この布農集落レジャー農場の土地は、元々お爺ちゃんお婆ちゃんが住んでいた土地で、彼らは現在も園内に住居を構えています。ここを訪れたら運よく会えるかもしれませんが、ナビのような無知で接するより、かつて「内本鹿事件」という事件があったという歴史などは、少し知っておいた方がいいでしょう。
カフェにて
ナビたちはコーヒーをいただきました。山の向こうには、布農集落レジャー農場内のキャンプ場やアロマオイルと竹炭工房も望めます。コーヒーは上質でいい香りがしました。ここでは、原住民料理もいただけます。
カフェ営業時間:8:00~17:00 コーヒー、ジュース、花茶
レストラン営業時間:11:30~14:00、17:30~20:00
ベランダの向こうに工房が見えます
アロマオイルと竹炭工房 営業時間:8:00~17:00
ほぼ100%プュアなヒノキオイルと台湾一クオリティが高いとされる竹炭はこちらの工房で作られます。
ショップ営業時間:8:00~17:00 小米酒、アロマオイル、竹炭、石鹸、米、ジャム、果実酢などの他に、手作りの織物や工芸製品、書籍CD,DVDなども販売しています。ナビは「八部和音」のCDとオリーブのジャムを買いました。食品類はオーガニックのものが多いので、安全で、質も高いのです。
オリーブジャム、ナビ買いました!
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梅のシロップ漬け
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宿泊先も完備しています
民宿宿泊できる場所がいくつかあります。どの部屋も清潔で快適そう。バスタブがジャグジーになる装置が付いていました。
アミ(阿美)族文化なら…
パイワン(排湾)族文化なら…
~他にも原住民文化について~
お昼を食べに誰も知らないところへ
とっても探しにくい場所に、レストランとは見えない外観をもつ小屋?がありました。ここは一人鍋のお店です。野菜はすべてオーガニック、チキンも地鶏。装飾という装飾もないお店で、台風が来たら大丈夫かしら?という造りにも見えますが、なんとなく風情があります。下味がついたチキンとタマネギを焼いて、スープを流し込み、野菜をどんどん入れていきます。栄養のバランスもよく、スープもおいしいので、どんどん食べられます。この雰囲気の中で、味わい深い食事。聞くと、かなり遠いところからも、わざわざここへ食べに来る人も多いそうです。
春耕源 住所:台東県鹿野郷鹿野村中華路一段261巷18-1号 電話:(0921)541-389 営業時間:9:00~18:00
以上、台北ナビでした。