亀山島まで来たなら、頂上へ!東西3.1㎞の小さな島、てっぺんから見た景色は…
いざ、出陣!
乗った高速艇は一番新しいタイプで、甲板には椅子が固定され、さながら地中海クルーズ風。ナビは一番前に座りましたが、揺れそうな気配を感じ、あまり動かないであろう中央へ移動しました。いいお天気で、海もきれい。亀山島は宜蘭から10キロちょっと。20分ほどで着き、船上から周辺めぐりをしました。海からでしか見えない洞窟に注目していたら、硫黄の匂いがして、白い波とライトブル-を色彩る海底温泉が見えました。亀山島は7000年ほど前、4回の火山爆発により、出現した島と言われています。海底では現在も10個以上の活火山があり、この海底温泉のあたりは、100度を超える水温となっています。
イルカよ、いづこ?
船上で簡単な島紹介をうけた後、ナビはイルカを見るために一路外海へ。船は前後にかなり揺れ始め、何かにつかまらないと椅子からひっくり返ります。波もかぶるようになりました。船員の人たちに船内へ避難するように言われて入りましたが、皆顔面蒼白でグッタリ。椅子に座り込んだり、横になったり。ナビもトビウオだよーという声を聞いてちらっと海は見たけど、気持ち悪くなってそのまま少し居眠りしました。イルカが出たら、誰かが呼んでくれるだろうと思い…。結局、イルカは出現せず、もうすぐ上陸!という声に目が覚め、亀山島に到着。こんなにいいお天気なのに…残念。
登ります
島の観光案内所で、水などを買い込んでいざ登山へ出発!ただいまの時刻11:00。13:30に集合と言われました。時間はたっぷりだねなんて、この時点では皆豪語しています。さて下船口に近いところが登山口です。亀山島でいちばん高い亀の甲羅と言われる部分は海抜398m、1706段の階段を持ち、401高地と言われる山です。東西3.1kmの小さい孤島は、山あり、温泉あり、洞窟あり、きれいな湖も2つ、生態物も豊富と信じられないくらいの楽園島に思えてきます。1820年から人が住み始め、当初は300人くらいの人口が一番多いときには700人に。お寺もでき、学校も作られました。住民は漁業を中心に生活をしていましたが、生活は貧しく、若い人たちはどんどん島を離れていき、老人は医療面で住みづらくなっていきました。そのため、1977年、国の方針により島民全員を宜蘭へと移住させ、この「亀山島」は軍事管制区となったわけです。が、1999年、今度は観光地として一般の人たちに開放されたのです。
最初から不安が…
登山口には、毒蛇や蜂に気をつけての看板が。階段が始まる所には登山用の竹ストックがあり、自由に取っていいのですが、一緒に行った人たちは、地元銀行を退職した登山グループ、週1回皆で台湾各地の山を楽しんでいるとかで、皆MYストックを持っていました。ナビは望遠カメラが重いし、途中上着を脱いだら、杖は邪魔っけな気がして、取りませんでした。階段が始まるところには、きれいな白い花、赤い花、緑が生い茂っています。が、200段くらいのところで、階段の段差が高く、足を高めに上げる必要があること、そして、ほとんど階段続きで、フラットな地面がない状態であることに気付きました。階段には200階なんて階の字が右側に書かれています。結構しんどいかも…と思ったときは、まだ300階もいってません。登りきれるかなという不安の影に早々襲われました。前を歩く人たちもすでにゼエゼエ、毎週山登りしてる人たちがこれですから、ナビもジム通いはしてるとはいえ、ほとんど同じ状況。300階あたりで、小さな亭があり、ちょっと後ろを振り返ってきれいな青い海を望みました。が、これ以降はしんどくて後ろを振りかえっていません。前も左右も見ず、ひたすら自分の足元だけに注意して登りました。途中何度か下山してくる人たちともすれ違い、そのつど「加油」(がんばれ)「山頂很漂亮、一定要上去」(頂上はきれいだから、絶対登りきって)なんて励まされ、「好」(わかったー)と返事はするものの心の中ではクソーと思っているナビ。ゆっくりめの人は追い越させてもらい、なんとか1000階の亭には着くことができました。もう汗びっしょり。
やっと真中へ
本当はここでギブアップする人もいるんです。ナビは水分を補給し、椅子には座らず、立って少し涼みました。さっき700階くらいのとこで、スッスッと軽い足取りで、ナビの脇をすり抜けていった60歳くらいのおじいさんがいたのですが、中間地点の1000階にはもうその姿はありませんでした。かつて、亀山島で生まれ育ったという簡さんいう方も一緒で、「小さい時はよく登ったもんだけど、ぜんぜんしんどいなんて思わなかったよ、何十年ぶりかに登るときついねえ」と話してくれました。立ち止っていると、鳥の声が耳に入ってきました。昔山道には野兎もいたそうです。
行くぞー
さて、後半分もないからと自分に言い聞かし、10分ほど休んで再出発!相変わらずの階段の段差の高さと石の粗雑な配置に、日本の神社の階段とは違うものを感じます。1300あたりはきつかったですね。1400までくると、やっとあともう少しと自分を奮い立たせられた気がします。1600が見えた時には頂上にいる人たちの声も聞こえました。それでも階段だけに目を落として登り続けました。1700階、ここはもうアーミー柄の建物の入口です。中の階段を登ったら…世界中で一番高い所に着いたような景色が目の前に広がりました!360度絶景です!周囲は海、海、海!ここはほんとに孤島のてっぺんだということを体感し、自分が回ると、空と海も一緒にグルグル回りました。ヤッホー!思いっきり声を上げます。もう一段高いところがあって、そこにはさっき軽妙な足取りで駆け抜けていったおじいちゃんがニコニコ微笑みながら立っていました。この方は呉さん、73歳です。ぴしっとした姿勢で、余分な肉が付いていない筋肉質の体。長年登山をしているというのが一目でうかがえました。
もう一つの道
頂上は風も強く、亀山島は10月までしか上陸できませんが、秋口や雨の日は大変かと思われました。その代り今日のような快晴に恵まれると、一生のいい思い出になるに違いありません!頂上からはもう一本の階段がない細道がありました。ここは、また別な申請が必要、蛇も多いので長靴着用が必須。島一周コースといい、ここだけで約2時間の歩き。頂上からでしか見えない小さな湖まで行くそうです。この頂上に立てられた建物ですが、かつてここで兵役に就いていた兵士たちが階段の石を一つ一つ運び、頂上はセメントで建物を作りました。当時この作業を行った一等兵士から中尉くらいまでの約200人の名前が刻まれた石碑がありました。
絶景に酔う
銀行グループの方たちは、お弁当持参で登っていました。ナビたちは事前に時間を確認していなかったので、手持ちのクッキーでしばし空腹をしのぎます。お昼にかけて登山に来る人は、おにぎりやパンのお弁当を持っていくべきですね。風を体中で感じ、思いっきり深呼吸をして、世界のド真ん中で気持ちが一新した気分。下山では、さっきしんどくて撮れなかった景色の写真を撮りつつ、簡さんたちとおしゃべりしながら降りました。が、ふくらはぎが…フルフルしています。今日のガイドさんも簡さん、船長も簡さん。皆親戚で、かつて亀山島には陳さん、林さんの次に多い名字だったそうです。簡さんは小学校までこの島で暮らしました。
この感動!
画像からでも感じとれますか?
昔の亀山島
簡さんから、昔話をたくさん聞きました。簡さんが島にいた当時、小学校は全校で50名ほどの子供がいたそうです。皆学校以外の時間は、海に入って遊んでいたそうです。魚は海が白くなるほどいて、多すぎる魚がお互い体をぶつけあって、海が赤く染まることもあったそう。毎日海に飛び込んで遊んでいたある日、今回の船の船長である簡さんの従兄が、海の近くに来た時、強風で足を滑らし海に落ち、岩でお腹を切ってけがをしました。傷口は深く内臓が飛び出てきたそうです。当日は台風接近中で波はかなり高め、簡さんのお父さんが荒れる海の中、懸命に船をこいで宜蘭まで運び、九死に一生を得たという話しを聞きました。当時の島には医者はいなくて、一か月に一回、宜蘭から先生が往診に来ていました。島民はよほどの病になってやっと船で宜蘭に渡るという状況でした。
また、小学校の時は、テレビが島に一台しかなくて、ラジオもままならず、皆集まってワイワイと一緒に番組を見たそうです。
1000階のところの亭にまたたどり着きました。立っていてもふくらはぎはガタガタしています。向こうに小さく見えるは宜蘭県。この間の荒れ狂う海を簡さんのお父さんは小さなボートで一生懸命漕いだのです。
簡さんが言います。「ここを泳いで渡った人もいるんだよ」「えー!」距離としたら12キロ。「本当?」ナビは聞き間違えたのかと、簡さんの顔をまじまじと覗き込みました。「2番目の兄さんだけどね、漁船に見守られながら、宜蘭まで5,6時間かけて泳いだんだよ。」トライアスロン選手も顔負けです!
下山苦し
下山の苦しみは、足がしびれていること。階段に着地する時、踏み外さないかと心持体を斜めにして降りたりしました。300階のところに来ると、さっき頂上から見えたもうひとつの道の入口がありました。皆やっとこさ降りてしばらく案内所で休みます。10分ほど休んだら島の案内をしてもらいました。お寺を見た後は、住居と学校がある方向ではなく湖を一周するというナビが先回来た時と、逆方向へ進みます。途中観音様の銅像がありました。そこを過ぎると砲台です。後方には高さ3.5m、幅3mの長いトンネルが控えていました。2つ入口があるのですが、右には入らないようにと。向かって右のトンエルはお化けが出るそうです…先回も入ったトンネルにまた入ってみます。行き止まりは、台湾本土を守るための大砲が飾られていました。
再び船に
14:30、宜蘭へ戻る船が出ます。乗船口は下船したところの波が高くなったため、砲台近くの港から出発です。見渡す限りの海に、孤島の寂しさが迫ってくる感じです。ここで生まれ育ったら、どういう世界観を持つのだろうかなんて、いろいろ想像してしまいました。帰路ナビは船の一番前の席に座りました。気持いい風で、全然揺れません。港に着いて「またどこかで会いましょう」と、簡さんに別れを告げました。
台北ナビでした。