台湾に来たならここははずせない!見事な衛兵の息の合いっぷりに感動しちゃいましょう!台湾の歴史の一部ものぞけるかも…?
こんにちは、台北ナビです。
今日は台湾のツアーに必ずといっていいほど含まれている観光地「忠烈祠」にやってきました!かくいうナビもここ忠烈祠は2回目。だけど今回は新たな発見があったのです。今回はそれをお伝えします♪
入口に立つ衛兵
荘厳な入口でまず見えるのが、この入口に立っている衛兵さんたち。こんなに暑いのにまばたきひとつせず、指先もピクリとも動かさずまっすぐに立っています。ナビもはじめて見たときは「え、人形…?それとも人間…?」と思ったほど。しかしやはり汗はかいてしまうのか、顔には大量の汗が。でも大丈夫、彼らのそばには汗を拭く世話係のような人がいて、その人が汗をぬぐってくれるのです。もちろん暑さにじっと耐えながら人形のように立ち続ける彼らにも限界はあります。それを時間ごとに交代していくのが、ここのメインイベントである「衛兵交代」なのです。
地面の茶色い謎の線…これはいったいなんなんだ~~?
入口を通り抜けると広い場所に出ました。
この広場で衛兵さんの交代式は行われます。地面には5本のまっすぐな線が。これは一体なんでしょう…この謎もすぐに明らかになります。交代式までまだまだ時間があるのか、お客さんはまばら。トイレやら水分補給やらこの間に終わらせられることは終わらせておきましょう。トイレは入口を入ってすぐ右側にあります。
今日はどうやら壊れて見られないみたい。ちょっと残念
トイレも済んだところで、まだまだ時間のあるナビ。ちょっと休憩室をのぞいてみましょう。休憩室には自由に飲めるウォーターサーバーや、小さなテーブルとイス、真ん中には忠烈祠の説明文と住所やバスの情報とこの付近の情報(中国語)が。うーん、とりあえず重要なところだけ抜き出すと、見学できるのは9:00~17:00(最後の交代式は16:40)で、休業日は3月29と9月3日の前日(当日は半日営業)、食べ物やガムはダメ…というところかな?
バスの情報は圓山駅からと大直駅から。ここからバスで士林官邸や国立故宮博物院にも行けます。他にはモニターがあってここのくわしい説明(日本語、英語、中国語、韓国語)が見られます。
一糸乱れずの行進!一瞬も目が離せない!
なんだかあたりがザワザワしてきました。どうやら交代式がはじまる様子。衛兵さんが向こうから歩いてきます。
足音を鳴らしてゆっくりと行進する5人。これを見たのは2回目だけど、相変わらず息もピッタリで、表情一つ変えないで歩く姿はカッコいい~♪しかしあんな暑そうな格好で重たそうな銃も持って、ナビなら間違いなく根をあげてしまいます。修行の成果なんだろうなあ、と思ったり。ところでお気づきでしょうか?先ほどの地面の線の正体。それは長年の衛兵たちによる行進でできた跡だったのです!
このまま階段を上っていきます
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銃の重さはなんと6キロ!
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見事な逆Vの字です!足の上げる高さまでおんなじ。
階段の先には2人の衛兵さんが。まずはこの2人の交代式を行います。
交代する2人が互いに向かいあい、ビシッと敬礼。その後、2人は台座を降り、列に入っていき、列にもともといた別の2人が今度は台座に立ちます。その時もビシッと敬礼は忘れずに。新たに台座に立つ2人は先ほどの2人と同様、無表情で人形のようにまっすぐ立ちます。う~ん、お見事。
こんなに重たそうな銃(もう一度言いますが6キロ!)を…
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軽々と振り回しちゃいます。腕の筋肉が気になるところ。
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ビシッと決まっていてかっこいい
そろった一同。大殿に向かってもういちどビシッときめます。やはり動きにムダがない!
ここから彼らは40分立ち続けます。40分もこのままシャキッと立ち続けられる精神力に脱帽。
交代した彼らも…
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台座の上で敬礼。ナビは男性が敬礼している姿がすごく好きです。
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入れ替えた2人を交え、衛兵は階段を下りて行きます。
同時に入口に立っていた2人も台座を降りてゆっくりと行進してきます。今度は入口の2人の交代式ですね。こんどは広場の中心で式を行います。やはりお互いに敬礼して、列に入っていく2人。きれいな一列になりました。
その後、次に台座に立つ2人が列から抜け、一足先に台座に進んで行きます。残った衛兵たちはそのまま控え室へ戻って行きます。これで交代式は終わりです。交代式は約20分。それでもあっというまに感じてしまうほど見事なものでした。
入口に立っていた2人も行進していきます
*ちょっと小話*
ここ忠烈祠では陸・空・海軍のいずれかの軍隊がいるのですが、ナビが行った時の軍隊は空軍。半年に一回交代するそうです。つまり次の交代は2月というわけですね。ちなみに見分け方は制服の色。陸軍は深緑、海軍は夏服→白、冬服→黒、空軍は青なんだとか。ちなみに衛兵のいる場所は忠烈祠以外にも「国父紀念館」と「中正紀念堂」があります。半年に一回交代し、ひとつの場所にそれぞれ20人前後の衛兵たちが送られます。
もう一つ、衛兵になるにはさまざまな条件を満たさなくてはいけません。身長は最低でも178cm以上、そして、身長に見合った体重が望ましいとか、う~ん、結構むずかしいかも?
もちろんこれに条件が合うだけではいけません。台湾人男性には兵役の義務があるのですが、新兵の37日間の訓練の際に、陸・空・海軍からそれぞれ推薦される必要があります。もちろん本人の意思は尊重されるので、断ることもできますが、選ばれるというのはとても名誉なことなのです。本人からの意思表示もあって2ヶ月ほどの訓練をし、衛兵になることができます。が、この訓練というのがかなりきついそう。衛兵交代でも使われている銃(5.5~6キロ)を片手でずっと持ち続けたり、止まったまま動かないでいたり、ゆ~~~~~っくりとした動作をしたり…とにかく精神的にきついのだそうです。でもこれをこなしてこそ、40分も外でじっと立っていることができる忍耐も持っているということ!体力はあたりまえ、さらに精神力を鍛える訓練でもあるそうです。彼らはその精神を持った人間ということなんですね♪
交代式だけじゃない!見逃しちゃいけない忠烈祠の見所
さて、交代式も見たから今度は国立故宮博物院にでも行こうかな~…、と普通の旅行客ならそう思うはず。実際ナビも台湾ツアーで忠烈祠に来たときは交代式が終わればさっさと別のところへ行っていました。でも本当はまだまだ見ておかなくてはいけないものはいっぱいあるんです。そもそもここがどんな場所なのか、それをまずは見直してみましょう。
壁画には台湾の重大な歴史の一部が刻まれています
ここ忠烈祠は政府が国家の祭典を行い、忠義の精神を表彰し、国のために殉難した烈士を追悼するところ。1945年第二次世界大戦終戦後、植民地時代の日本の神道信仰の痕跡をなくすため名称を「護国神社」から「忠烈祠」と改めました。現在の忠烈祠は、1969年に故宮の大和殿を模して建設されたものです。
1911年、辛亥革命(中華民国開国革命といわれる)や抗日戦争などで国のために斃れた約33万人の英霊が祭られました。鄭成功などの抗荷志士や苗栗事件、西来庵事件、霧社事件などの抗日烈士も奉納されています。
つまり、ここを見なくては忠烈祠が存在する本当の目的がわからないまま終わってしまうのです。
まずは壁画から。この2枚の壁画はみなさんも目にしたことがあるのでは?これは抗日戦争と杭州における革命の壁画です。日本語での説明もあるのでぜひ目を通してみてください。
次は烈士がまつられているお堂に行きます。こちらの方にも道があることにお気づきでしょうか。ここから道なりにそっていけば、革命烈士のお堂へいけます。
ここの通路にもいろいろなものが置いてあるのでぜひ見ていきましょう。壁には絵が5枚かかっています。これらはさまざまな戦役を説明した絵です。もちろん日本語で説明が書かれているので安心。ちなみに左右対称に作られているため、反対側にはもう5枚絵があります。
革命烈士と武人、刻まれる日本人の痕跡
霊牌のなかに気になるものを見つけました。
「山田良政」…あれ、日本人?そうなんです、彼は烈士の中の唯一の外国人で日本人でした。彼の資料もここにおいてあります。山田良政は「革命に倒れた唯一の日本人」といわれ、現在の青森県弘前市に生まれます。陸羯南(くがかつなん)のすすめで中国語を学び、その後陸軍の通訳として従事しました。そして、孫文と出会い、彼は良政の生涯の同士となりました。
良政の死因は諸説あり、辛亥革命にて撤退の途中、しんがりとなっていたため清軍に捕らえられたためとも、清軍に遭遇した際に戦死したとも言われています。彼の死後から13年経ち、来日した孫文は良政の記念碑を建立しました。その記念碑は今でも東京の谷中にあります。
「山田良政氏の墓碑」下には孫文が彼にあてた言葉です
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山田良政の写真も残されています
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お堂を出ると、廊下には胸像がならんでいます。
これらは烈士たちの胸像。左右にそれぞれ6体ずつあり、これに手前の2つを足して全部で14体の胸像があります。その中には張自忠という烈士の胸像があるのですが、彼は抗日戦争で、日本人にとても恐れられたというエピソードがあります。さらにもう一人、高志航という人も興味深いエピソードがあります。抗日戦争にて、ぼろぼろになった飛行機を必死に操縦し、活躍したというのです。それらの資料も武人のお堂に保管されています。興味のある方はぜひ一度ごらんください。
さて、こちらは左側のお堂(武烈士祠)。
ここに武人たちがまつられています。部屋にはずらりと霊牌が並んでいます。ちなみに下においてある霊牌は将軍など地位が高く、上においてある霊牌は大尉や中尉、一般の兵士が一つの部隊としてまとめられたものです。また、現在でも遺族が身分のわかる資料を持ってきて、それが正確な資料であると証明できさえすれば、個人の霊牌を作ってくれるそうで、今英霊の数はゆうに40万人を越えているそうです。
ずらりと並ぶ胸像たち。彼らが台湾に大きな影響を与えたのがよくわかります。ぼろぼろの飛行機で最期まで戦った高志航氏
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こちらの資料も必見。高氏のお孫さんが資料を提供したそうです。
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さきほどの胸像の張自忠氏。写真と胸像では少し印象が違うなあと思ったナビです
どうでしょうか?忠烈祠には衛兵交代だけでなく、見るべきものがたくさんあったのが伝わりましたでしょうか。
ツアーでこれから忠烈祠にいくよ~という方も、自分で台湾をまわるよ~、という方もぜひ奥の方まで足を運んでくださいね。きっと新たな発見がありますよ!
以上、台北ナビでした。