花蓮糖廠は、現在「花蓮觀光糖廠」となり、レストランや宿泊施設も完備されています
こんにちは、台北ナビです。
砂糖は日本統治時代、主要輸出品の1つで、糖業は花蓮の発展を大きく促しました。その歴史は、1913年に台湾東部のパイオニアであった賀田金三郎率いる賀田組の「台東拓殖株式會社」から始まります。花蓮県寿豊郷に「壽工場」またの名を「鯉魚尾糖廍」を設立。1914年には「鹽水港製糖株式會社」と合弁しました。1921年には光復郷に「大和工場」が設立され、更に糖業の拡大がはかられていきました。ここが現在の花蓮觀光糖廠(光復糖廠の前身)なのです。
五分車線路の跡
戦争末期、両工場は連盟軍に破壊され、終戦後は台糖公司に吸収されました。破損が大きかった「壽工場」は解体され、酒精工場の部分のみが保存されました。光復郷にあった大和工場は、花蓮糖廠に改名し、台湾東部の製糖の中心になります。工場が光復郷にあったため、「光復糖廠」が通称になっていますが、正式名は「花蓮糖廠」。
戦後コスト面の考量から、「壽工場」は1945年に撤去され、酒精工場の部分も1955年、大和工場へ移転となりました。そして、2002年、花蓮糖廠は製糖の歴史に幕を閉じます。
現在は観光レジャー農場として、「花蓮觀光糖廠」と名を変え、台灣糖業公司花蓮區處が経営管理を行なっています。
広い敷地内をまっすぐ行くと
|
|
花糖文物館がありました
|
ここで、台湾東部の砂糖の歴史を知ることが出来ます
|
|
当時の写真なども多く、日本時代は入って左のほうです
|
人気のアイスはぜひ
当時製糖の原料であるサトウキビを提供するため、北は新城郷から南は富里郷まで広大なサトウキビ畑が広がっていたそうです。現在工場では、特製のアイスクリームやキャンディーが有名になり、これ目的で訪れる観光客もいるとか。
種類はいろいろあって、この日ナビたちは、人気!やおすすめマークで選びました。
おすすめ月明氷アイス 55元(なんと、生卵入りです!)と人気No1 紅豆鮮奶アイス 55元
|
|
人気No2 パパイヤアイスクリーム 50元
|
花蓮にはワンタンの店が多いですが、ナビたちもここでお昼を済ませました。
台糖花蓮旅館
入り口を入っていくと、整然と列をなした日本式建築が並んでいます。これは台湾では数少ない日本式木造建築群。かつては職員用宿舎でした。保存状態が良好だったため、リノベーションを施し、2011年から「台糖花蓮旅館」として、対外運営をしています。
昔のままの建物
|
|
宿泊施設になるとこのようになります
|
工房になっています
昔の回廊式の独身宿舎はリノベーション後、創作工房になり、地域の芸術交流や講座開催の場所として利用されています。DIY体験イベントや芸術品の展示販売なども行ない、有機米や有機レジャー産業の開発も指導しています。
日本統治時代の木造建築
整然と並んだ大規模な木造建築群は、古きよき時代の和やかな雰囲気に包まれています。
宿泊施設は窓が多いので日当たりよく、明るいので広々と感じ、隅々まで日本人の知恵に感服する造りになっています。たとえば、床を高くすることで床下の通風がよくなり、高温で湿度も高い台湾の気候に適していました。木材は釘や金具によってしっかり固定され、台風や地震に強い仕組みになっています。緑を多く取り入れているのも特徴的。
内部は、まさに日本の家。玄関、商事、ふすま、網戸、ガラス窓、戸袋、押入れ、廊下、たたみ部屋、通気用の格子窓、土間、台所、便所、床の間、出窓などなど。
更に日本式をほめると、木や畳の使用は多目的用途がありますね。昼間は客間、ダイニングとなり、夜は寝室という風に。居住空間の関係上、家具は少なく、起床後は布団を押し入れに入れたりするので、それがかえって清潔ですっきりと見せ、機能的なんですね。
垣根がきれいで、縁側もあります
ここには、約30棟80戸ほどの職員宿舎があったそうです。
宿舎の全体図は凸字型で、オフィス、家族宿舎、独身宿舎、接待宿泊所、診療所などもありました。建物はプライベートも尊重し、一定の距離を保つために周囲は垣根が作られました。沈丁花なども植えられ、季節になるといい香りを放ちました。縁側も設けられ、近所の人たちとおしゃべりをする「濡縁」もありました。
丁種宿舎:1936年建造、7棟28戸、一般職員家族宿舎。4棟4戸が長屋式で、各戸とも13坪以内、和室3間あり、廊下や玄関横に濡縁がある、と書いてあります。
敷地内は広いので、興味のおもむくままに遊んでください。
以上、台北ナビでした。