新竹の新旧を感じられる公園。新竹と日本の絆も感じられる場所です!
新竹に多い黒松が公園内にはたくさんあります
こんにちは、台北ナビです。新竹公園は台鉄「新竹」駅から徒歩10分で到着する新竹市民の憩いの場。18ヘクタールとも言われる広大な公園の中には「新竹市立動物園」「玻璃工藝博物館」「麗池湖畔」「孔廟」などの施設があり、新竹市内最大のレジャースポットです。また、台湾ドラマ「スウィートラブ・シューター(鬥牛,要不要)」や「私の億万LOVE(我的億萬麵包)」のロケ地としても使われたことがあるそう、台湾ドラマが大好きな方にも訪れていただきたい場所です。
石で作られた壁かと思いきや…
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リサイクルのガラス!緑色は台湾ビールの瓶♪
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春には日本から贈られた桜が満開!
集団墓地とし使われていた場所を1916年(大正5年)に整備し、公園へと変化を遂げ、その際に新竹孔廟も建立。1936年には「新竹市立動物園」や「玻璃工藝館(以前は自治会館)」が作られ、その翌年には「台湾総督府気象台新竹観測所」(現在は鑲嵌館)、1957年「中廣新竹台(ラジオ局)」(現在は北欧館)が建設されました。戦後、日本の岡山市やロータリークラブから1000本の河津桜が数回に分け贈られ、旧正月前後~3月頃には優しいピンク色の花を咲かせるそうです。いつか見にきたいなぁ…。
この外にも日本統治時代の建物が残される「麗池湖畔」や体育館&陸上競技場など、新竹市民が気軽に遊びに来ることができる施設が詰まっています。今回はその中から「玻璃工藝館」と「麗池湖畔」をレポートしたいと思います。
新竹市のロータリーが公園に送った時計
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李聖徳さんの案内で巡りました
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新竹におけるガラス産業の新旧を勉強できる「新竹市玻璃工藝博物館(ガラス工芸博物館)」は新竹の歴史を見つめ続けてきました
入口左に置かれているガラスのオブジェ
1936年、半年の歳月を費やし建てられた「自治会館皇族」は日本の皇族や高官が新竹を訪れた際に宿泊した「接待所」として使用されていました。戦後はアメリカ顧問団→憲兵が使用し、1999年12月18日に「新竹市玻璃工藝博物館」として正式に開館。戦前と戦後で用途が全く異なるため、檜で作られた階段の手すりなどはペンキで塗られるなど、日本統治時代に建てられた建物らしからぬ部分もあるのが特徴です。
今ではあまり見られない北投焼
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1936年にオーダーメイドで作られたレンガはカーブがかかっています
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「1935年新竹台中地震」の影響で新竹のほとんどの建物は崩壊。この後建てられた建物からは鉄筋やタイルを使用し始めたそうです。こちらの建物も鉄筋コンクリートの2階建て。貴賓室は木造平屋建築です。外観はセメントや石の粉、細かい石などを混ぜて一枚の石のように見せるタイル「洗石子」と北投焼のタイルで装飾されています
手すりは檜製。かなり価値のあるものでしたが、建物を保存するという概念がなかった時代にペンキで塗られてしまいました…
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一度ペンキを塗ってしまうと、元には戻せないそうです…
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館内にはガラス作品はもちろん、新竹におけるガラスの発展についても展示されています。ガラス産業が発達するには「シリカル」と「天然ガス」が必須だと言われ、新竹にはその両方ともありました。そこに日本の技術が伝わり、発展を遂げた新竹のガラス産業。現在ではかなり高い技術を誇ります。この博物館でも十分新竹のガラスについて勉強できますが、2年に一度「ガラスフェスティバル」が行われます。2014年に開かれたガラスフェスティバルでは宮崎県在住のガラス工芸家「黒木国昭」氏も参加し、日台のガラス工芸が共演を果たしたそうですよ。
QRコードを読み込んで説明を見られる仕掛けも!
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年表でわかりやすくガラスの歴史について知れます
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以前の鉄格子も展示されています!
この建物の中で必見の場所と言えば「お仕置き部屋」。以前使われていた鉄格子は1階B区(入口入って右側)に展示されていますが、ガラスで再現したものがF区(女子トイレ奥)にあります。新竹の誇るガラス工芸で憲兵時代のお仕置き部屋を感じることができるなんて、この建物ならではですよね!
ガラスで再現した以前のお仕置き部屋(禁閉室)。態度の悪い憲兵が3~7日ほど閉じ込められて反省を促されたそうです
新竹市玻璃工藝博物館
住所:東大路一段2号
電話:(03)562-6091
FAX:(03)562-6093
開館:火~日 9:00~17:00
休み:月曜日
※館内は写真撮影不可です。今回は特別に撮影の許可をいただきました。
気持ち良さそうに泳いでいました
公園路のメイン入口左手にある「麗池湖畔」。「麗しの池」と名付けられていますが、エメラルドグリーンが濁ってしまっているのは少し残念です。しかし、池の上には台湾でよく見られるクネクネと曲がった橋「九曲橋」や屋根付きの椅子があり、風が気持ちいい!旅行中疲れた際にもゆっくり休憩できる場所ですよね。
日本統治時代の建物が残されていました
その奥には1931年に建設、1935年に増築した「湖畔料亭」があります。当時ここへ来ることができたのは高官のみ。歌い踊り、酒を飲んで楽しんだと言われています。当時、ここを経営していたのは「只左優子」氏。お兄さんが消防隊の隊長を務めていた関係で経営を任されていたそうですよ。時は流れ第二次世界大戦には、新竹に神風特攻隊の部隊が置かれました。出撃前日には湖畔料亭を訪れ、最後の夜を過ごした者もいるそうです。日本統治終了後は空軍の医務隊、学校、高官の寮があり「空軍十一村」と呼ばれていました。その後、住民が引っ越したのを機に、リノベーションが施され、現在では芸文展覧スペースとして使用。今後はカフェスペースを設ける予定があるそうです。
元々5軒の建物があったそうですが、そのうちひとつは火事で全焼。今は4軒のみ残されています。建物は主に杉およびメノキを使用していました。現在見られる姿はリノベーション後のもので、ちょっと新しすぎる部分もありますが、当時の様子をなかなかうまく再現できていると思います。ガラスフェスティバルの際には展示場として使われるため、ガラス工芸のみならず建物の中も見ることができます。
立派な樹を残しながらリノベーションが施されました
枯山水はこの部分のみ!
ナビが気になったのは「日式庭園」と呼ばれる場所。説明を読んでみると「枯山水」の説明が書いてあるのですが、どう見ても周りに水路があるじゃないですか!水があっては枯山水にはならぬ…。後で新竹に詳しい「温文龍」先生に教えていただいたのですが、枯山水はこのスペースの奥にある一部のみ。その周りは中国の王羲之が詩、酒、音楽にふける清談の風に染まっていった際に好んだと言われる作りを再現しているそうです。もちろんこれは排水設備という目的もありますが、日本と中国の要素が詰まった他ではなかなか見られない作り。当時は枯山水のことを知らない人が作ってこのようになってしまいましたが、これがかえって趣深いものになっていますよね!
時間の関係で2カ所しか見て回れませんでしたが、新竹らしいゆったりとした時間が流れる場所でした。公園内には動物園や孔廟もあり、まだまだ新竹のことを感じられそうです。次回は時間をたっぷり訪れたいなぁと思います。
以上、満開の桜を見に来るぞ!と計画しているナビがお届けしました。