千五百基を超える古墳と数万点の土器と石器が掘り出された台湾初の遺跡公園!
こんにちは、台北ナビです。
今回は、台湾原住民のプユマ(卑南)族が多く住む台東を訪れてきました。プユマ族は、知本と南王の2大グループに分かれ、古代は東部のほぼ全域を制覇していたと伝えられています。花蓮の瑞穂にもプユマ族の石柱が残っていたり、東部の遺跡のほとんどは、プユマ族がかつてその地で生活していたという痕跡で、その時代は2000年以上前のものがほとんど。今回ご紹介する「卑南文化公園」は、彼らの足跡を残している公園ですが、この一帯は掘り起こせばもっと多くの遺跡がざくざく出てくると言われています。
石生まれと竹生まれ
現在台湾でのプユマ族の人口は1万人ほどで、原住民の中では6番目に大きな民族。平地原住民なので早期から多民族の接触があったことで、中国語、台湾語、日本語などを話し、失われつつある固有言語のプユマ語は、現在長老たちが母語クラスを開講して継続に力を入れています。
交渉技術に長けていたプユマ族は、清朝康熙の時代、朱一貴の叛乱の平定に功労し、清朝より卑南大王の称号を与えられました。この時期アミ族やパイワン族からは貢納や徴税を行い、台湾原住民の中で絶大な力を誇っていたと言われています。が、多民族が攻撃的だったことから、プユマ族の勢力範囲は徐々に縮小していきました。
先ほどプユマ族には知本と南王グループのグループがあると書きましたが、知本は知本温泉を中心とする知本村、建和村、泰安村、初鹿村、利嘉村の一帯。
かつて台東県の太麻里郷美和海岸近くの山にある巨石が割れ、そこから祖先が誕生したという巨石誕生伝説に従っています。関連記事は以下からどうぞ、発祥記念碑の画像もあります。
片や現在の台東市を中心とする南王里、檳朗村、宝桑村などに分布するプユマ族は、竹から生まれたとする竹発祥伝説を持っています。
現在は2グループの力関係で、南王=プユマ族だそうです。
広すぎる!公園、まずは考古現場へ!
考古現場の近くに「月形石柱」がありますが、こちらは「展示廳」内のものです
公園内は、とても静か。目をつぶると、古代この地で多くの人が生活していた風景に思いをはせることができます。
考古現場が見られますが、今でも遺跡の発掘作業は進行中。集落の中心だった月形石柱は一級古跡に指定され、考古現場近くにありますが、「展示廳」内でもその姿を見ることができます。
また、台東市内にある「国立台湾史前文化博物館」内にも興味深いものがたくさん展示されていますので、時間がある方はぜひこちらもご覧ください。
緑が広がりました
公園内はかなり広く、移動には自転車があると一番便利かもしれませんね。台湾の人が言う300甲の広さです。1甲が約3000坪だそうなので、約100万坪?
緑のきれいな芝生内には、プユマ族の会所が建てられています。男性は12歳に達すると、この高床式の男性集会所に寝泊まりし、集会所で寝食をともにして訓練を受けます。年かさの男性と仮の親子関係を結んで、父親のように慕い様々なことを教えてもらいます。また、プユマ族は、頭目制度と男子会所による年齢階級組織が混在した母系社会なので、男性は婿入りする形ですが、近年嫁入り婚に変わってきています。が、現在でも家族内では長女の意見が尊重されるそうですよ。
プユマ族の4大節
3月 豊年祭 - 粟の収穫を祈願
7月 収穫祭 - 粟の収穫を感謝、海の蘭與島の方へ向かって収穫を祈ります
11月 大狩猟祭 - 会所の青年の通過儀礼、男子参加の狩猟教育
12月 猴祭 - 会所にて少年の通過儀礼、サルを刺して、少年の胆を試すもの
他にも除草祭などがありますが、すべての祭典の日程や段取りは、祭司にゆだねられています。シャーマニズムは、現在も継続していて、祭儀の前や中間、終了に必ずシャーマンによる儀礼が行われます。
プユマ族の家屋
公園内には、プユマ族の家屋も設置されていました。日本語の詳しい説明があります!
家屋の横には穀倉、後方には小米の霊が安置されている場所があり、触らない様にとのお触書もあります。
家屋を見終わってから散歩
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橋も渡ったら、「展示廳」に到着!
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展示廳
1980年、南迴鉄路の台東新駅と操車場の工事で思いがけず遺跡を発見。多くの石板棺が発掘されて人々の注目を集めました。途中盗難などもあったそうですが、10年にわたって、約1500個の石板棺と2万点余りの石器、陶器が出土され、ヒスイの副葬品も大量に見つかりました。
遺跡は2000~5000年前の新石器時代の卑南(プユマ)文化人の村落で、発掘面積は1万㎡以上、アジア地域で最大の石棺墓群です。「展示廳」内の入口入ったところすぐにある棺桶には、驚きました。棺桶の大小などで、身分の差があったそうです。また、地位の高い人は、1人1つの棺桶ですが、5人くらいが一つの棺桶に入れられたりもしました。
老若男女とも皆が耳輪をしていました
プユマの人たちが使用していた土器や鋭利な刃物、美しい玉の展示もあります。
幼い頃から男女とも耳に穴をあけて、玉をつけていました。
日本人の紹介
館内には、石柱を発見した日本人考古学者の紹介もあります。
鳥居龍蔵、鹿野忠雄、金関丈夫、国分直一の4名です。
プユマ族の方たちとの交流
到着したら、迎えてくれました
公園を後にしたナビたちは、この後プユマ族長老たちのお話を伺いに行きました。ここは、「巴古瑪旺發展協會」といって、プユマ族のコミュニティセンターでもあるところ。日本統治時代は、小学校があった場所で、ここにも高床式の会所がありました。
プユマ族のリーダーは、世襲の頭目(ayawan)ですが、時代の流れによって、頭目としての職権は現在村長が事実上継承し、尊敬の対象とされています。シャーマニズムが存在するので、祭師(rahan)も重要人物とされています。
お元気です!青い服の方たちの方が長老
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若干若手の方たちです
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代表のハンさんです、日本語は日本人と同じ
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長老の方は皆日本語を話されます
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ここにも会所がありました
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その後、プヨマ族の軽食をいただきました!もちろん小米酒付き!
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やはり山豚肉はおいしいです
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一緒に踊ったり、おしゃべりしたりで楽しいひと時でした
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プヨマ族は、人口が少ないわりには著名人を多く輩出し、特に芸能人には、張惠妹(アメイ)、陳建年、紀暁君(サミンガ)、紀家盈(家家・サミンガの妹)がいます。
「巴古瑪旺發展協會」のすぐ近くに、陳建年、サミンガ、家家のうちがあります。
また、台湾の500元札の絵柄になっている少年野球チームは「南王國小」の子供たちですが、その小学校もこのすぐ近く。そして、小学校の道を隔てたところにある卑南國中は、アメイが通っていた中学校なのです。
以上、台北ナビでした。