台湾各所に残る日本統治時代の建物、中でも特色ある建物の1つと言えるのが、現在の獄政博物館である嘉義舊監獄
こんにちは、台北ナビです。青い空が清々しく、温かい風が心地よい3月のある日、台湾南部の嘉義市にある獄政博物館へやってきました。こちらは、日本統治時代に建設された刑務所で、「嘉義舊監獄」とも呼ばれています。博物館として一般客に開放を始めたのは、建物の歴史的価値が認められたからでもあり、その建築様式は、アメリカのペンシルバニアのイースタン州立刑務所の五翼放射状舎房がモデルになっています。イースタンは歴史に残るギャング、アル・カポネが10ヶ月収監された刑務所としても有名で、彼のために作られた独房もあり、現在は見物できる刑務所博物館になっています。日本では北海道の網走刑務所の様式がそれと同じもので、かつて嘉義の刑務所を建築した際の日本人は、この2か所の刑務所を参考としました。イースタンと網走は、中央指令台から囚人房が放射状に5本に伸びていますが、嘉義は小ぶりに三翼の3本。また、イースタンと網走の大御所の2か所が北国に位置しているのに対し、嘉義刑務所は南国の明るい太陽の下にあるおかげか、悲壮感があまり感じられません。とは、ナビ個人の一見した感想で、もちろん内部には様々なドラマがありました。
獄政博物館に入るには?
こちらの博物館は、いつでも入れるわけではありません。入館料は無料ですが、開館時間は、火~日の9:30、10:30、13:30、14:30の1日4回のみで、これ以外の時間は入館できませんので、参観の際にはご注意を。月曜日、旧正月、清明節、端午節、中秋節などの祭日は休館です。開館時間前に本館入口に集合し、登記を済ました後、ボランティアの案内によって内部を参観します。一般客として行く場合も、事前予約はしておいた方が無難ですね。予約受付時間:8:30~11:30、14:00~17:00(月~金)。予約電話:(05)362-1873、FAX:(05)362-2036。館内での飲食、飲酒、喫煙、ガムの咀嚼は禁止されています。また、ゴミを捨てないこととペットの入場も不可です。
建物の外から
刑務所を囲む高さ5mの外壁には、脱走を図る囚人の人形のオブジェが3体貼りついています。刑務所として運営していた当時は、正門の両側に憲兵が立っていました。向かって右側にある六角亭は、面会に来た家族たちの待合所だったそうです。ところで、日本の網走刑務所なのですが、市街地と網走川を挟んだ位置に設置されているため、橋を渡らなくては出入りすることは出来ません。明治23年から現在まで、橋は4回架け替えられたそうですが、その橋の名は「鏡橋」。名の由来は「流れる清流を鏡として、我が身を見つめ、自ら襟を正し目的の岸に渡るべし」。日本統治時代、嘉義刑務所の周囲にも濠があり、かつては同じ名の「鏡橋」が、ここにも架かっていたのです。
建築の重要性
「嘉義舊監獄」(日本語で、嘉義旧刑務所のこと)は、大正8年(1919)に建設開始、大正11年(1922)に完成しました。当時は台南監獄の管轄に置かれ、大正13年(1924)、「臺南刑務所嘉義支所」に改称しました。建物は、日本統治時代に完成しましたが、幾度かの地震の被害に遇い、その度に復興を繰り返し、現在の姿に至っています。台湾が国民党の手に渡ってから、「臺灣嘉義監獄」と呼ばれるようになりました。
1994年3月にここが完全閉鎖となってからは、嘉義県の鹿草というところに新設された刑務所に受刑者も移動となりました。72年の歴史を持つ刑務所は、その後「嘉義舊監獄」と呼ばれるようになり、現在は「獄政博物館」として一般に開放されているのです。
建物は刑務所の歴史と発展がたくさん詰まったところで、歴史のみならず、文物の特性も紹介しています。保存状態は良好で、ほぼ完全な形を留めていたため、各界の名士たちの応援もあり、2002年には、嘉義市の古跡として認定されました。
昭和2年(1927)8月25日と昭和5年(1930)5月12日、同年12月22日に、台南の新營一帯に大地震があり、昭和6年(1931)1月24日の八掌溪中流の地震では、嘉義支所の建築は特に大きな被害を受けました。これらの地震の影響で、建物は危険建築とされ、その後当時の予算13885元で、昭和7年(1932)に数十名の受刑者によって、外壁と屋根の修復がなされました。
建物の面積は、昭和13年には、約1200坪、1946年には約280坪増えました。その後も何回かの修復や改築が行われ、今のような姿になったのは、1994年のことです。保存のために何回も手が加えられ、発展してきたため、建物の初期はすべて木造でしたが、その後レンガが加わり、一部RC構造にもなりました。
大切にされる理由
嘉義舊監獄を建築史研究の角度から見てみると、その企画理念、空間形態、構造工法が高く評価されています。
1、日本統治時代に放射状(扇形建築型式)のコントロール系統を作ったことは、西洋初期の現代化監獄の理想の型をモデルとしています。
2、当時嘉義は木材の集散地だったため、刑務所内の門や窓枠、柱、壁板などにはヒノキが用いられ、そのため施工レベルは、一般の建築より、強固で耐久性もあり、防犯や避難などについても十分考慮されています。
3、工場や刑務所内の天井は高く、各種の通気設計がなされていたため、湿気を中にため込まない、通風の良さがあります。
以上のような観点から、日本の網走刑務所、大連日俄旅順刑務所、韓国西大門刑務所など各国の博物館館長も視察に訪れ、その後博物館として一般客にも紹介することになりました。
入館します。
阿里山の麓にある嘉義市。日本統治時代はヒノキの集散地だったということで、市内の各所にはヒノキ造りの建物が大切に保存されています。この獄政博物館も入口のどっしりとした大きな両扉が継ぎ目のない一枚のヒノキ。ここで、参観者の人数点呼などがあって、ボランティアさんたちの説明が始まります。
その後、手前の行政大楼に入ります。右側には総務課や人事課がある行政方面のオフィスがあり、左側は典獄長の部屋。天井もヒノキ造りで、外に出なくても内部ですべてをコントロールできるシステムも備えています。接客用のソファがあり、当時の制服が椅子にかかっていました。
オフィスの方に入ってみると、建物や刑務所の歴史紹介などがあり、昔使用していた足枷や手錠なども展示もあります。
中央台に着きました
全体の模型図
右側から智・仁・勇と名が付いた受刑者たちの囚人房が並んでいます。当時受刑者の監視と報告を行う中央台では、8名の職員が450名の受刑者を管理していました。
中央台に立ってみると、その眺望のよさがよくわかります。両側には、職員たちの制服と囚人たちの服が展示されていました。また、初期の頃は、鞭打ちの刑なるものがあったそうで、その時使用されていた板と鞭がありました。
囚人房から、180度向きを変えて、入口方向を振り返ってみると、上方には神棚がありました。ここは最初天照大神を奉っていたそうですが、その後京都の真宗本願寺からの御尊を奉るようにし、受刑者たちの宗教教育に役立てたとの説明がありました。国民党時代になってから、台湾で多くの神社や日本の宗教絡みのものは破壊されたのですが、そんな中よく残存したものだと、ナビはちょっと驚きました。
囚人房の中
通気性に優れているというのが天井裏に上がるとよくわかります。
天井裏は職員が上から囚人たちの様子を監視するところでもあるのですが、この設計の素晴らしさは、かえって現代的なスタイルのような気がしました。
一部屋に5,6人入っていたそうです。ナビは以前政治犯が送られていた緑島の昔の刑務所を見たことがありますが、こちらの方がきれいで設備もよく、環境の差を感じました。
昔のデザインとは思えないほどの斬新さに驚き
他のエリアも見てみましょう
奥の方には、医療センターがあり、病気になったりしたときに看てくれる医者もいました。外側に出ると、囚人房の一番最後に貯水タンクがあるのを発見します。この時代のタンクは珍しいそうで、これを見ただけで当時はかなり近代的な建物だったというのがよくわかるそうです。
炊事場があり、受刑者たちの1食は、1菜1湯1飯と言い、野菜、スープ、ご飯が1碗ずつでした。炊事場の横には、豚小屋があり、すべてが自給自足で行われていたのです。敷地内には、井戸も5つありました。
また、当時は汚物を洗う池もあり、それらの池から排出された汚水は、畑の方に流れて肥やしとなるという 今から言えばエコでもあったわけです。
4つの工場:
現在内部は、受刑者たちが作成した作品が並べてあります。
職員が監視する主管台があります。
木造の日本式建築は美しいですね
共同浴場:
露天風呂で、当時は冬場もお湯なしだったそうですが、通気性は抜群ですね。
敷地内には、池もあり、リュウガンやマンゴー、椰子の木などの果物の木々もあります。
角度によって、とてもきれいな情景が映し出され、ここがいわゆる
「堀の中」だということを忘れてしまうほどの美しさです。
日新堂:
国民党時代になって完成した建物です。内部では、映画観賞などができました。
婦育館:女性受刑者たちの囚人房です。3歳以下の乳飲み子たちを抱える母親たちは、子供も連れて入居することができました。小さな幼稚園のようで、世話をする人もいたそうです。女性の方には、編み物や裁縫室などもあります。
接見室:
家族や親族、友人たちと接見する部屋もありました。どの空間も明るいですね。こちらも南国らしい接見室という感じです。
この日は、本当にいいお天気でした。
南国ののどかな情景と穏やかな空気に、受刑者の人たちは、何を思い、毎日過ごしていたのだろう。
このお天気にもずいぶん癒され、慰められたのではと、ナビは思いました。
以上、台北ナビでした。