台湾最南端の木造駅は、秩序が保たれていたことを表すように、簡素ながらも優雅でした
こんにちは、台北ナビです。
台鉄「竹田」駅は、台湾南部の屏東県竹田郷にあります。駅は屏東線に属し「屏東」駅から4つ目で、「西勢」駅と「潮州」駅の間に位置しています。
1919年に建てられた老駅舎「竹田」駅は、木造の趣きある古い建物で、古跡としても認定され、しっかりした間取りと屋上には美しい雨どいもあり、歴史の香りが漂う重要な場所なのです。屏東線上では、現在「竹田」駅のほか、すでに廃駅となった「三塊厝」駅が日本時代からわずかに残る木造駅舎となっています。
地名=駅名
日本時代の鉄道は、輸出用農産物の運搬に重要な役割を果たしていました。「竹田」駅は1919年11月16日、「頓物驛」(「頓物」駅)という名で運行開始となります。この駅名ですが、清朝の時代、ここは「頓物」と呼ばれていました。客家人が多いこのエリアで、頓物は堆積、溜まるという意味なのですが、当時ここは米や穀物のターミナルでもあったのです。たくさんの米穀がこの駅に貯蔵されたのでそう呼ばれました。ここが集散地になったのは水路が発達していたこととも関係があり、それゆえ全盛期には、駅を中心に旅館や公共浴場もありました。現在「竹田驛園」と呼ばれる駅公園内には、浴場跡が残っています。1920年10月1日、「竹田」という地名がそのまま駅名になりました。
廃駅の危機
やがて鉄道での物資運搬が減ってくると、駅は徐々に衰退していきました。
1日の乗客数が減ってくると、「竹田」駅は廃駅の危機に直面します。そこで近隣の住民たちは署名運動を起こし、政府に注意を向けさせ、やがて修復人員を派遣してもらい公園としての再建にこぎつけたのです。その後「竹田」駅は、「竹田驛園」となり、週末はこの場所で不定期に様々なイベントが行われたり、鉄道ファンや観光客も押し寄せるようになりました。現在かつての木造駅舎は元の場所に現存させ、昔の駅の北側ホームだったところが景観公園の「竹田驛園」となっています。
昔は右から読んでいた…、その名残がうっすらと残っています
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「竹田驛園」と書かれた石碑
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観光スポットと言えます
住民たちの熱い気持ちもあって、現在の「竹田」駅は、散歩にもよし、歴史を知ることもできる素敵な観光スポットになりました。木造駅舎の中は昔の様子、隣はショップになっています。客家人が多いエリアなので、客家布をあしらったお土産などもあります。隣には、「池上一郎博士文庫」がありました。ここはかつての倉庫だったのですが、日本統治時代の軍医池上一郎氏を記念して図書室に改造されています(月曜日休館)。ここは、またの名を「アジア最南端の日本語図書館」とも言われ、地元の人々にも親しまれています。
図書館の起こりは日本統治時代末期、当地に赴任した池上一郎博士が戦後に蔵書を寄贈したことがきっかけで、図書室が設けられました。池上博士は東京都出身で、1943(昭和18)年、19712部隊(野戦病院)の院長として、竹田に赴任。図書館内の紹介板には、博士がとても住民に慕われていたという内容がありました。日本に戻ってからも、台湾を第二の故郷として、台湾からの留学生を支援したりしていたそうです。
「池上一郎博士文庫」
「李秀雲先生攝影紀念館」
「池上一郎博士文庫」の隣には「李秀雲先生攝影紀念館」があり、台湾早期の農村の生活が撮影された作品が数多く展示されています。建物の上部には、「頓物」の字と「竹」があります。
現代のモダンな駅
1992年に、「竹田」駅は三等駅である簡易駅となり、「潮州」駅の管理下に置かれました。2013年に駅は高架され、2015年8月には、屏東駅から潮州区間は、すべて複線電化高架化になったので、「竹田」駅も正面から見ると、昔の駅の後方に新しい駅が構えています。少し面白い風景ですね。
駅前の鳥のオブジェは、台湾で大切にされている黑面琵鷺かな?改札口前方には、オブジェがありました。かつて穀物のターミナル駅としてにぎわっていた証がここにも残されています。くれぐれも蹴つまずかないように気を付けてください。
昔の駅の様子に感傷的になっていたら、新しい駅はとても現代的なのでびっくり。お隣の「潮州」駅の広さにも驚きましたが、ここも昔のこじんまりした駅とは正反対です。駅前の鳥のオブジェは、台湾で大切にされている黑面琵鷺かな?駅内の1階はお手洗いも完備。ホームは2階へ上がっていきます。この日は荷物があったので、エレベーターに乗りました。駅のホームからは、のどかな景色が広がっていました。
以上、台北ナビでした。