ローカル線平渓線の終着駅「菁桐」、この街には鉄道博物館をはじめ、平渓の歴史と文化が詰まっています
ローカル線の車内
こんにちは、台北ナビです。今日はローカル線の平渓線に乗って、終点の「菁桐」駅にやってきました。この地方は1年のほとんどがすっきりしないお天気ですが、ナビたちが行ったこの日も、まさに降りそうで降らない曇り空でした。しかし、このお天気が、この地方特有のムードをより一層際立たせ、平渓ならではの独特の風土にピッタリ合っているのです。「菁桐」駅は、1929年に建てられ、70年以上の歴史を持つ古い駅で、国家三級古跡に指定されています。台湾では、現存している日本式木造駅は全部で4つありますが、その中の一つでもあり、保存状態はすこぶる良好。今でも毎日多くの人に利用されています。(他の木造駅舎は、竹田駅、保安駅、追分駅)
駅周辺
ナビたちはこの日平渓線の始点「瑞芳」駅から乗り込みました。この駅は、九份方面に向かう人がバスに乗り換える駅でもあります。さて、台湾の各駅列車はロングシートですが、この平渓線もしかり。しかも、シートの横は円形をかたどったしきりがあり、情緒漂っています。この日は、「平渓郷魅力商圏協会」の総幹事である李清賢さんが、「菁桐」駅の案内をしてくださいました。「魅力」という協会の名前もステキですが、ここで生まれ育った李さんは、「菁桐」だけにとどまらず、平渓のことなら何でもおまかせという力強い味方になってくださいました。
木造駅舎「菁桐」の駅
老街を歩いて
「菁桐」駅を降りたら、菁桐名物の「雞捲」の店が目の前にありました。列車の中でお弁当を食べたにもかかわらず、さっそく買っちゃったナビです。雞の字にチキンロールを想像してしまいますが、あれ?違いました。中身は、豚肉、タロイモ、タマネギ、ニンジン・・・、それを湯葉で巻いて揚げています。昔は旧暦の1日と15日に神様へのお供え物として作っていたのですが、いつもころからか菁桐名物のグルメになってしまったそうです。五香粉の香りが効いて、中身はしっとり。かなり腹持ちがいいおやつになりました。
さて、「菁桐」駅周辺から、太子賓館の方向へ歩いていきます。途中皆が願い事を書いた竹筒がたくさんぶら下がっています。、「許願筒」といい、これに願い事を書いて吊す絵馬みたいなものです。合格や宝くじがあたりますようになどという中に、ちらほら見かけたのが「子宝を授かりますように」。台湾の人たちの間では、ここ子宝の祈願地として、かなり有名だそうです。
木造作りの「鉄道故事館」では、列車をテーマにした昔懐かしいグッズがいっぱい。館内には昔の写真が陳列されています。
駅前の老街風景
線路の向こうに、古めかしい大きな建物がきれいな形で残っていますが、これもやはりかつてここが炭鉱の街だったということを表しています。
お店の人がかつての写真を見せてくれました
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写真の中の建物が、きれいな形で残っています
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雞捲は手作り
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1本いかがですか?
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小さな老街です
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青草茶を飲みました
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お楽しみはここから
短い老街を抜けると、炭坑夫の大きな銅像がありました。ここから橋の方向へ向かいます。 かつては「石底倶楽部」と言われた太子賓館が橋の右側にあります。昭和14年に建てられ、当初は鉱業会社の社員訓練所でした。炭坑が停止となってからは、仏教の高層の手に渡り、修行を行う場所となりましたが、ナビたちが行ったときは改装中で、2012年に完成予定。当時の建物は、阿里山のヒノキを使用し、102人の大工たちが日本の宮造り法で作り上げたそうです。 というわけで、カバーがかけられた太子賓館を右に見ながら橋を渡ると、手前には北海道民宿と名付けられた民宿がありました。当時の日本家屋を大切に保存しつつ、多くの人に宿を提供、映画のロケ地としても使用されています。この近辺は炭坑を管理する日本人集落だったので、子供たちの遊び場には滑り台が残っていました。
民宿入口
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ロケ地としても有名
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かつての日本人集落
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すべり台もあります
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完全な形で…
民宿の裏には「皇宮茶坊」というレストランがあり、中に入らせてもらいました。玄関の様子に、日本でおばあちゃんちに来たような錯覚を覚えたほどの純日本がここには残っていました。中は3間ほどしかないので、大きなうちではありませんが、床の間や縁側、廊下などまさに日本。日本国内でもこんなに完全な形で残っている昔のうちはもうほとんどなくなってきています。外に出て、庭の方に回ると、お天気もいい日だったので、お茶を飲んだりおしゃべりを楽しんでいる人たちがいました。家の後ろには納屋もあり、裏には池もありました。池には桜や桃などの木が配置よく植えられています。この家屋の外側の板の感じ、縁側から下りる時に足を下ろす石の台。昔の一軒家には必ずあったはずのものがここにはすべて存在していました。
「皇宮茶坊」
住所:新北市平渓区白石里白石腳5号
電話:(02)2495-2021
休業日:月曜日、火曜日
ヤシの木に、やはりここは南国だったと気付かされました
少し歩いて、炭坑夫たちの食堂や売店だった建物を見ながら、橋を渡り、駅のほうへ戻ります。のどかな景色を見ながらの散歩は最高。駅周辺だけではなく、ぜひ「皇宮」まで足を延ばしてほしいものです。
街には観光案内もちゃんとあります
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炭坑夫たちの食堂や売店だったところ
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ほっとする風景、かつての日本人集落地です
菁桐礦行生活館
給与帳簿
駅の横にある「菁桐礦行生活館」に入りました。この中には炭鉱業が盛んだった頃の写真や資料、当時使われていた道具などが展示されています。ここで平渓の歴史をくわしく知ることができます。内部には炭坑トンネルの模型もあり、何層にもクネクネ地下を掘られていたトンネルのあまりの深さに驚きます。
西暦1920年﹙大正九年﹚のこと、石底石炭と青桐石炭が続けて開発されたのにともなって、台陽会社は「菁桐」にたくさんの寮と職員宿舍を建設、他の土地から入ってきた鉱山労働者と職員を住まわせました。現在残っているのは日本風の宿舍群と、一坑、二坑一帯で炭坑夫に日用品を提供するために設置された売店など(さっき通ったところです)。昔炭坑夫が鉱山を出て、街に繰り出し、街の明かりがまぶしかった繁栄の光景は、今の「菁桐」の街からは、想像し難いほどの過去のものになりましたが、残された鉱業集落跡は、ドラマを撮影するのに最高のロケ場所になっています。炭坑夫舘の生活の記録のすべてがここ「菁桐礦行生活館」には残されています。当時の人たちの給与が普通のサラリーマンより高かったというにも頷けました。今で言う危険手当のようなものも含まれていたからです。
工具も展示されています
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トンネルの中、ベトコンみたいです
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煤礦紀念公園
ナビたちは、李さんに従い、駅の裏側に向かいました。ここは、採鉱に利用されていた大斜坑。炭坑夫たちは、1日の仕事を終え、ここで集まり酒を飲んだりもしたそうです。洗煤場、洗礦場、宿舎、銭湯などの遺跡が残されています。礦坑は1921年に建てられた平渓最大の礦坑址。ここはトロッコが走っていた跡が地面に残っています。残された壁には、ガジュマルが血脈にように貼りつき、日が暮れてから来ると、かなり背筋が寒くなるような場所。集会所もあったこの高台に一角に、炭坑トンネルへの入口「石底大斜坑」がありました。ここが「菁桐礦行生活館」に模型もあったトンネルで、二号坑と呼ばれていました。平渓で最大かつ最深の煤礦遺跡で、1979年の閉坑まで使用されていました。地面に斜めに入っていくトンネルの形が、多くの炭坑夫たちが出入りしていた情景を想像させてくれます。炭坑夫たちは、1日の仕事を終え、ここで集まり酒を飲んだりもしたそうです。
トンネルの入口
ガジュマル~~~
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菁桐へ来たら、ぜひここまで登ってみてくださいね
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見晴らしのいい民宿
民宿もと来た石の階段を下りると、広場があり、カフェが見えました。カフェの裏には「東京民宿」。広場を前進すると「榕園民宿」がありました。ここでは、夕食はありませんが、朝食付き。菁桐の町が眼下に望められるいい場所です。今日歩いてみて、菁桐を楽しむには数時間ではもったいない、半日過ごすのもいいかなと思いました。お昼について、かれこれもう4時です。急がない旅なら、平渓線の終点駅「菁桐」での宿泊も考えてみてください。
「榕園民宿」
住所:新北市平渓区菁桐里二坑8号之1
電話:(02)2495-2272
台北ナビでした。