龍山寺は夜市だけかと思ったら、このエリアでとってもステキな散策スポットを発見!「剥皮寮」に足を運んでみてはいかが?
こんにちは、台北ナビです。
ようやく台北も秋の涼しい風が吹くようになり、暑い夏のときとはまた違った、風情ある台北の街並みを肌で感じたいな、と思っていたところ、龍山寺に「剥皮寮」というスポットがあるという情報をキャッチ。龍上寺といえば華西街の夜市が有名ですが、実はこのあたりは萬華地区といって、百年前までは淡水河では一番大きな港町でありました。早速、その歴史を感じさせてくれる街並み、剥皮寮をとくと拝見!
台北の歴史ゆかりの街、萬華地区
最寄の駅の龍上寺出口4。
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広州街に行くまでにある市場。こちらも探索にはおススメ。
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「剥皮寮」を皆さんにご紹介する前に、まずざっと萬華地区の歴史について簡単にご説明いたしましょう。
萬華地区の歴史をひも解いて見ますと、300年ほど前、この辺りは先住民族が淡水河を船でよく行き来していてこともあって、その当時は先住民族の言葉で小船を意味する、「艋舺」(Monga)と呼ばれていました。そのころは主に茶葉やサツマイモなどの農作物の売買が盛んだったそうです。1738年には龍山寺も建立され、住民の信仰およびこの土地の商業の安泰を祈願する拠点となりました。時代は、台湾がまだ中国の清朝に統治されていた頃です。
きっとこんな感じの船で行き来していたんでしょうね。(郷土教育センター内展示)
それからは中国大陸の閩南地方(福州)から徐々に住民が増え続け、木材や炭の売買など、萬華地区はますます発展していきます。1895年、日本統治時代が到来します。この頃になると、地名は先の先住民族の読み方をまねて、現在の「萬華」と変わります。
「剥皮寮」とは、どんなところ?
さて、いよいよ本題に入りましょう。
その、人やものが盛んに行き来した萬華地区に位置する、「剥皮寮」。正確な位置は、広州街と康定路に面しています。地図を見てみますと、百年以上の歴史を誇る老松小学校と隣り合わせになっています。これには理由がありまして、なんでも剥皮寮は実は日本統治時代に、老松小学校の敷地の一部として区分されたのだそう。ところが、その全部の敷地の面積があまりにも大きくて、長い間学校として使われなかった部分に、そのうち商店などが立ち並ぶようになったのだそうです。
台湾の伝統的な建築様式と、洋風なバロック様式が渾然一体となった剥皮寮の街並みは、近代までほとんど完璧な形で保留され続けました。一方で、老松小学校が老朽化するに伴い、剥皮寮も改築の危機にさらされます。そこで台北市政府が1988年よりこの歴史的な街並みの保存に着手し、ようやく2009年に修復を終えました。
「剥皮寮」の名前のゆえん
皆さん、剥皮寮なんて、字を見てなんか怖いイメージがありませんか?ナビもはじめ、なんて恐ろしい名前のところなんだと、いろいろ想像してしまいました。もしかして、先住民族がその昔、人の皮を剥いで、それで……いえ、失礼。これは単にナビの勝手な想像です。
実は、まだ清の時代だったころ、この辺りは中国の福州から船で杉の木材が運ばれ、皮を剥いで加工したところからこの名前がついたそうです。
では、現在の剥皮寮がどんなところなのか、実際に足を踏み入れて見てみましょう。
MRT「龍山寺」駅から徒歩5分ほどで剥皮寮につくので、思ったよりアクセスがしやすいのがうれしいです。そこにたどり着くまで東三水街という小道を通るのですが、そこは市場のような感じで、こちらもいろいろと見てみたいところ。そして康定路に出ますと、美しい街並みが目に飛び込んできます。もう、ここからがタイムトラベルの始まりな感じ。
老街さながらの通りを歩いていくと、入り口が見えてきます。でも、切符売り場がないのが気になりました。係りの人に聞いてみると、なるほど、入場無料なんですって。中に入ってみますと、いろいろと展示がしてあります。ほとんどが中国語なんですが、どうぞご心配なく。実は、こちらでは日本語の解説ガイドもお願いできるそう。毎週火曜日、木曜日と金曜日の10:00と14:00の時間帯にあるんだそうです。ご見学の2日前までに予約をしてくださいということでした。
さて、展示品ですが、中には日本統治時代のものもあって、当時の台湾新聞を引き伸ばしたコピーもありました。ナビの親も生まれていないような時代の(新聞には昭和8年とありました)記事が、しかも日本語で書かれている。台湾という異国にいながら、日本の昔の文化に触れられる。なんか、これは不思議な感じがしますね。そして、そのとき一番はやった百貨店が「菊元百貨店」といって、そこで売られていたという、その当時の女性用のストッキングの箱詰めが展示されていました。
当時売られていた宝くじ。よく今まで残っていましたねぇ。
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これがそのストッキング。まだ使えるかしら?
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日本統治時代に台湾博覧会なんてのがあったんですね。
横には戦時中もてはやされていた、李香蘭の映画のポスターもあり、片隅には蓄音機からその当時の歌が流れていました。(実際にはテープだったとは思いますが)
今度は、建物の外に出てみますと、そこはもう「老街」の街並みそのもの!実は今年2月に封切られた台湾映画で、あの「海角七号」と肩を並べるくらいのヒットを巻き起こした、「艋舺」(Monga)はここで撮影が行われたそうです。ナビもその映画を見ましたが、内容的には、ヤクザの世界に足を突っ込んでしまった4人の若者のお話しといったところでしょうか。映画の設定は1987年ですが、随所に映し出された当時の時代背景がとてもリアルな印象で残っています。それがそのままここ「剥皮寮」で撮られていたなんて、映画の中の主人公になったみたいで、なんだか楽しくなっちゃいます。
こちらでは頻繁にいろんな特別展示会が催されています。ナビが行った日には、「台北市設立90周年記念展示会」が開かれていました。歴代の台北市長の紹介や、時代の移り変わり、また台北市にちなんだクイズ形式の展示もあって、なかなか楽しそう。※こちらの展示は既に終了しています
土日などの休日は、ひと気が多くなるそうですが、平日に来てみると、なかなか静かで落ち着きます。写真をバシバシ撮るのもよし、展示をゆっくり見るのもよし、またただボーっとするだけでもよし。一通りじっくりご覧になった後は、お隣には台北市郷土教育センターもあるので、一緒に見学していってくださいね。
こちらも「剥皮寮」の一部、台北市郷土教育センター
先ほど入ってきた入り口から出て左のほうへ約2分ほど行きますと、郷土教育センターに着きます。こちらでは剥皮寮の所以や歴史の紹介のほかに、台湾の伝統教育と近代教育、台湾の医療の発展などの展示があります。台湾の小学校の教室の形がそのまま展示されているところもあって、なんともかわいい。また、取り壊される前の建物の柱なんかもそのまま残っていたりします。
入り口付近にある階段ですが、ナビのお気に入り!ココはいいお写真撮れると思いますよ。
先にご紹介しました、老街の部分はもちろん、こちらの教育センターも随所に素敵なシャッタースポットがあります。九份や淡水まで足を伸ばさなくとも、こちらで結構いいお写真が取れちゃうのは、なかなかグッドなことかと思います。
ちょうど若いカップルが結婚用のお写真を撮ってもらっていました。
剥皮寮は比較的新しくできた、台北の観光スポット。リピーターの皆さんにはぜひ、足を運んでいただきたいものです。場所がら、華西街の夜市にも近いですし、その他この界隈の面白スポットも開拓の余地大です!この次の台北旅行は、華西街プラス剥皮寮で決まり!
台北ナビでした。