日本統治時代に台湾総督官邸だったバロック式の建物。国賓をもてなす迎賓館として使われています
こんにちは、台北ナビです。
二二八和平公園と東門(景福門)の間に高いコンクリートの壁に覆われた一角があります。普段は門が固く閉ざされていて、一般人にはあまり関係のない場所なんだろうなと思われるかもしれませんが、実は日本とゆかりの深い観光スポットです。
その名は台北賓館。現在は外交部の管理下に置かれ、国賓をもてなす招待所として使われているのですが、毎月1度、一般公開される日があります。元々は日本統治時代に台湾総督官邸として建設された豪華な建物が間近に観賞できます。今回はその一般公開に潜入してきました!では、行ってみましょう。
一般公開日は事前にウェブサイトでチェック
一般公開日は基本的に月初めの週末に、総統府の特別公開日と同じ日に設定されますが、例外もあります。事前にウェブサイトで確認してください。
参観は無料です。総統府のような身分確認や手荷物検査などもありませんので気軽に足を運べますよ。
こちらの門から入っていきます
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約30分毎にボランティアによるガイドがあります
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100年の重みを感じさせるシックだけど洒落た外観
西洋に迷い込んでしまったかのような外観です
赤レンガ造りの総統府(旧台湾総督府)と比べ、白を貴重とした外観は幾分落ち着いた雰囲気です。ただ、じっくりと見ると、丸みを帯びたペアになった柱やアーチが多用されているほか、細かい装飾が施されている上、ベランダが設けられ、洒落た雰囲気になっています。
設計は福田東吾氏と野村一郎氏で、1899年に起工し、1901年に完成します。元々はネオ・ルネッサンス式の建物でしたが、その後シロアリの被害に遭い、台湾総督府を手がけた森山松之助氏が修復に当たり、バロック式の現在の姿になりました。
ちなみに、これだけ豪華な設計になったのには理由があるそうで、当時台北にあったドイツの領事館が非常に豪華なつくりで、それを凌駕するためにさらに豪華なものにする必要があったとの裏話が、真偽はともかく伝えられています。
前庭は西洋風の庭園になっています。日本統治時代にはコンクリートの壁はなく、鉄格子になっていて、外から見える状態だったそう。それは台湾の人々に、日本から来た統治者の生活レベルの高さや、建築の技術力を見せつけるためでもあったんだとか。ただ、植えられている木々は、南国情緒をかきたてる台湾らしいもの。元々ここに生えているものではないのですが、来賓が来た時に、台湾らしさを感じられるようにという意味で植樹されたそうです。
あまりにも華美過ぎて何を入れたらいいかわかりません
中に入ってみると、壁と天井は金のアクセントが美しい白でまとめられ、床は独特な模様が目を引くタイルの床になっています。
2階に上がると目に飛び込んでくるのが、細かい装飾がなされた棚。棚と言っても、底の部分は鏡張りになっていて、上部にはめ込まれた装飾が反射して見えるようになっています。また、外側は富士山、厳島神社、神橋(日光)、渡月橋(嵐山)の風景が彫られていて、日本らしさを感じさせます。
台北賓館を語る上で、忘れてはならないのは、1923年に実施された後の昭和天皇である皇太子裕仁親王の台湾行啓。日本統治時代には計27人の皇族が台湾を訪問したのですが、当時摂政だった皇太子の訪問には最大の敬意が払われました。そして、台北での宿泊地となったのが、台湾総督官邸です。
台湾を訪問した皇族に関する展示があるほか、その当時来賓として招かれた人々に関する展示があります。
たくさんの皇族が訪台していました
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官邸を訪れた来賓の中には原住民の姿もありました
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皇太子が宿泊されたというのがこちらの部屋。本来は総督の寝室だったのですが、官邸内で最もいい部屋だとして使われました。その後の歴代総督は、皇太子が泊まった部屋に住むのは恐れ多いとして、官邸の裏側に増築された日本家屋で暮らすことになったんだとか。
そして、屋根に登る螺旋階段にも物語が。実はこれ、皇太子が実際に登って歓迎パレードを観賞しました。日本統治時代は高層ビルがなく、屋根の上からでも遠くが見渡せたことでしょう。
客間は総督官邸最大のホールとしてパーティーや表敬訪問が行われた部屋です。
食堂。公務が忙しく、総督がここで食事を取るのはほぼ朝に限られたそう
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食事を1階から2階へ運ぶ当時としては最新鋭のエレベーター
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1階に降りると、1946年から現在まで中華民国の迎賓館として使用されている広間があります。こんなところで歓迎されても緊張して畏縮してしまいそうです。ただ、こちらは総督官邸時代は執務室だったそう。
ホールでは約30分毎に15分程度の台北賓館や修復に関するミニムービーが観賞できます。
建物の裏手には広い日本庭園があります。ボランティアの話では、日本本土以外にある日本庭園としては世界最大規模ということだそう。池は草書体の心の字を表しているんだとか。
コンクリートジャングルのど真ん中にありながら、さまざまな野鳥が飛来するなど、文字通りオアシスになっています。
そして、日本庭園の片隅にひっそりと佇んでいるのは、総督が住まいとした日本家屋。洋館に住むよりも和室のある部屋のほうが落ち着けるといった総督もいたと伝えられています。2018年末の時点では日本家屋の見学はされておらず、垣根越しに眺めるだけですが、以前は垣根の内側に入ることができ、縁側から和室の内部が見られるようになっていました。
1952年には日華条約が結ばれ、日本と中華民国の間で台湾と澎湖諸島の帰属が中華民国であることを確認した舞台となった台北賓館。100年近くにわたり、激動の時代を控えめに見続けてきたこの場所には、たくさんの歴史と記憶が詰まっていました。
交通の便がいい場所にあるので、ぜひ公開日に合わせて、総統府や二二八和平公園、中正紀念堂などと一緒に見学してみてはいかがでしょうか?
以上、台北ナビがお伝えしました。