台湾からいちばん遠い台湾、離島馬祖は美しく、また行きたくなりました!
こんにちは、台北ナビです。
今回初めて!台北の松山空港から立栄航空で50分の台湾連江県にある馬祖へ行ってきました!馬祖は台湾の基隆からだと船で8~10時間。中国大陸からだと、1時間半で着く所。なーんて書くと、中国ですか?とつっこみたくなりますが、いえ、台湾領土です。人口およそ6000人。でも、中国の福建省が、ほんとすぐそこに見えるんですよー。それに、住民は泉州語と福州語を話し、一緒に行った台湾に人たちも、彼らが何を言ってるのか「聴不憧」(聞いてわからない)というし、食べ物も違う、建物も違う、ここはやっぱり台湾じゃない…なんて思ってしまったナビです。
馬祖は大きく分けて、5つの島と4つの郷に分れています。郷は日本でいえば郡ってとこでしょうか。小さな島は36個とものすごい数ですが、人が住んでいるのは、東引、北竿、南竿、東莒、西莒の5つの島で、東莒と西莒は莒光という郷に含まれるので、郷は全部で4か所です。一番栄えているのは南竿、次は北竿。馬祖に行くと言ったら大体この2つの島が代表的です。飛行機も国内便は南竿へは1日6便、北竿へは3便、立栄航空が飛んでいます(2008年12月現在)。が、天候が悪い時、特に4−6月に多い濃霧時には、すぐ影響を受けるので要注意。ナビ一行の中で、馬祖に行ったことがある人が、かつて台風と濃霧で5日間も馬祖に足止めされたと言ってました。5日間を離島で過ごすのはちょっと大変ですよね…。今回ナビが行ったのもこの北竿と南竿の2つの島です。馬祖をよく知る人からすると、一番きれいなところは、東引と東莒らしいですが、東引と莒光は空港がないので、南竿からの1日2便の船に乗るしかありません。東引は基隆から8時間、南竿から2時間、東莒は、南竿から45分で着きます(2008年12月現在)。
北竿到着
紫株と言われる植物で台湾本土にはなく、冬場馬祖でのみ見られます。
10:15 快晴の中、飛行機は北竿の空港に到着しました。空港内は、若き兵士たちでいっぱい。この日のガイドの林さん曰く、民国60年代(1970年代)、一番多い時で2万人近くの兵士がここで兵役に就いていたそうです。今はその10分の1もいかない1000人以下…。それでも、台北市内で兵士が歩いているのを見かけることはまずないので、ここでは歩いている人のほとんどが兵士っていうのにはかなりの違和感を感じます。
さて、小型観光バスに乗って最初に着いたのは、旅客中心。ここは「坂里沙灘」というきれいなビーチがあります。よく結婚写真のベストプレイスとしても使われるそうな…確かに砂浜が美しい。
北海坑道のトンネル
次に北海坑道に着きました。475mのこのトンネルは、民国57年(1968年)に掘られたもので、同じ名前のトンネルが南竿、莒光にもあります。ナビは一瞬鍾乳洞?って思ったくらい幻想的なムードが、このトンネルの入口付近から奥の方にかけて漂っています。引き潮時でしたが、海からなだれ込んでくるドドーッという音、そして、岩に思いっきり当たって砕ける音が衝撃的で、遭難しそうな船に乗っているような瞬間を感じました。
なぜこんなトンネルが掘られたのか?目的は、まず自分たちの船を隠すことにありました。だから、トンネルは大自然の賜物ではなく、兵士たちが長い年月をかけて人工的に掘ったものなの。壮大なスケールなので、偉大な芸術作品と言ったら大げさですが、それに近いものを感じます。トンネル内の換気をよくするため、ところどころに大きな穴があります。ほぼまっすぐのトンネルを抜けたら、視界いっぱいに台湾海峡が広がりました。
ここからは昔の兵士が寝起きしていた岩の寝床を通ったりして、岸壁に沿って歩いていきます。ここの山は花崗岩の山だったのが、岩の間に緑が生えるようになり、今はほとんどが緑でちょっとだけ岩が見えています。ガイドさん曰く、ここは台湾で死霊が一番多く集まる場所されるらしく、午後3時以降にここに来ると、いいお天気でも肌寒く感じたりして、不気味なところなのだと言ってました。ちょっと背筋がゾクゾクっとしたナビです…。
さて、よく歩いたのでおなかも空き、海鮮料理のレストランへ来ました。定食もあるんで、自由にオーダー。紅麹炒麺を注文したら、同じテーブルの人たちが、錦炒魚麺、馬祖名産の揚げた餅もオーダー、餅には馬祖にしかない細いネギがみじんぎりになって入っていておいしかったですね。
このレストランのある通りは、昔軍人が多かった頃、食事時には大勢の兵士であふれたところ。店によっては200人ほどが並ぶこともあったそうな。馬祖の人たちは兵士の人たちの服を洗ったり、兵士相手の商売だけで、生活は悠々自適だったそうな。が、今では夏場の観光客のためにだけ開け、強風が強い冬場は休む店も多々。だから、ナビたちが行った12月もほとんどの店がシャッターを下ろし、道を歩いているのは、たまに兵士さんとか…。なんだかバカンス地のような風情ですね。
龍和閩東風味館
住所:馬祖北竿塘岐村86,88号 電話:(08)365-5576
町並みが違う
町を少し歩きましたが。昔の家はすべて木造で、窓が小さい。石の壁が特徴ですが、石の大きさに各家の裕福さの度合いが表れています。大きな石を均等に使っているうちはお金持ちで、まとめて石を買うという余裕があったという証拠。小さな石が多く大きさにばらつきがある壁は、あった石を積み上げていったということで、金銭面に余裕のなかったうちだそうです。また、四角と斜めの模様を交互に積み上げているところは、「人丁興旺」といい、男の子が生まれるようにと、子孫繁栄を願う気持ちが壁に込められています。
さて、馬祖名産の魚麺で有名な「阿婆魚麺」のお店へやってきました。泉州から来たおばあちゃんが手作りで作っています。お昼のメニューにあったコシのある麺はこれ。昔は魚が獲れすぎて、残った肴で作っていたので魚臭い匂いがかなり強かったそうですが、今は麺粉を足してちょうどいい味に仕上がっています。ナビも気にいって買ってしまいました。ここで買うと安くてひと袋60元~です。でも1箱とか大量に買わないと安くしてもらえないようです。ちょっと歩くと、また「芙蓉酥」がおいしいというお菓子の店に着きました。これもおみやげにはもってこいです。
古くからの昔の家
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町で見かける兵士たち、皆2人一組
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戦争平和博物館
M55四管50防空機槍
台湾の人が馬祖へ行くのを許されたのは、民国83年=1994年のこと。それまで馬祖は兵役につく軍人のみが配置される、台湾の人たちにとっても未知の島でした、未知で前線の地ということで、開放されてもすぐに来ようという観光客は少なかったそうです。中国からの攻撃を受けるんじゃないかとか…、実際開放と言っても一般人の立ち入りが許されていないところも多々ありました。また、軍艦に同乗しなければ、来る手立てはありませんでした。戦争平和博物館は、ここ数年になって開放された場所で、館外、館内ともになかなか興味深いものがたくさん陳列されていました。中国大陸との往来に使った空防弾内の宣伝の紙などは、台湾側からのものには台湾は安全なところだよと書かれ、向こう側からのには毛沢東バンザイみたいな文句が書かれていました。
イルカ
今回の旅のメインテーマは、イルカを見ることであったナビたち。5月~10月、台湾の東部ではイルカ観測の船が毎日出ていて、たくさんの観光客が訪れますが、冬場になるとさっぱり。ここ馬祖では、この時期にイルカがかなりの浅瀬までくるということで、イルカ観測スポットがいくつかあります。ここの基地もそのひとつ。軍人の基地なので、ちょっと入口の手続きで戸惑いましたが、なんとか入れてもらい、満潮で待つこと30分。が、この時は出現しませんでした。
台湾のギリシャ「芹壁村」
石畳と石造りの村
馬祖内の交通手段は、タクシーか車やバイクのレンタルになります。ナビたちの観光バスは北竿のメイン観光地でもある芹壁に着きました。古い家が坂道に沿って並んでいるちょっと九份の海辺版のような…なかなか味のある集落で、一軒一軒の家が特色ある様相を呈しています。が、このような古い石造りの家が造れる職人さんはもういないそうで、この一帯は壊れたところは修復という形で直し、土台から同じものはもう作れないそうです。上のほうへ登りながら、時々眼下を望みます。海の景色が一望で、亀の形をした島の向こうの方には中国大陸が見えます。こうやって望むと本当にすぐ対岸にあるようで、船で90分というのも頷けます。ナビたちが歩いていると、ゴミを焼いているおばさんが「あんたたちは、対岸から来たのかね?」と聞いてきました。一人が「台湾からよ」と答えたんですが、何だかこの会話も面白いですよね。大体ナビたちが訪れた12月というのは、台湾の人たちが馬祖に来る観光の時期から外れているそうです。
「海盗屋」の家
芹壁の一番高いところは、一番偉い人のうち。昔は住居だったんですが、今は観光地として残されています。入口は崖っぷちを歩くような感じで、一人ずつしか通れません。昔の西洋のお城もそうですが、外敵から身を守るためこのように作られたそうで、一歩足を踏み外すと・・・もう終わりですね。中の造りは白河郷の合掌造りの台湾海辺版みたいな・・・中国の福州杉が柱と天井に使用されていますが、釘は一本も使っていない宮造りの用法です。芹壁村の家の中は、皆頑丈な石で外側を、長持ちする杉で内側を固めという造り方であるため、厳しい気候にさらされつつも、長年朽ちることなく生き続けてきたわけです。
この一帯で一番きれいな石の組み合わせから、その裕福さがわかります。対岸との貿易で儲けたのでしょうか?別名「海盗屋」=海賊の家と呼ばれています。裾広がりの形が特徴的で、強風を避けるため窓は少なく小さい。現在は展示会場となっています。
カフェでまったり
民宿
この美しい海辺の村を多くの人に来て見てもらいたいと、「芹壁」という名でまずカフェを立ち上げた人がいます。民宿「芹壁村」も営んでいる陳功漢さんです。最初は、皆になんでこんなとこで民宿?と不思議がられたそうですが、今では陳さんに続き、民宿と中国大陸を望む美しい景色とおいしいコーヒーを看板に掲げるカフェを経営する人も増えてきました。ナビたちは民宿の中の一軒を見せてもらいましたが、さっき回ってきた古い建物のほとんどが実は民宿になっていました。中へ入ると石と福州杉がうまく組み合わされています。宿泊に必要なものはすべて揃っていて、1泊700元くらいだそうです。天井は低めで、2階に上がると更に低め。が、白いシーツのベッドと木の色合い、屋根の合間にとられた小さな天窓が何ともおとぎ話の中のムードで、ナビたち一行の誰かがピーターパンが来そうな部屋よ、と言ったのがまさにって感じでした。印象的だったのは除湿機が巨大で、湿度がかなり高い馬祖ならではの必需品のようです。ナビたちはカフェに戻り、それぞれがカップをもって外の席に座りました。何回か来たことのある人は、ここでなら1日中でも過ごせるって…。
ナビもそう思いましたね。
実はここも民宿のスイートの部屋、蒋総統万歳という石の彫り物があります
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カフェはここで
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芹壁村
住所:馬祖北竿郷芹壁村49号 電話:(08)365-5456
北竿は泉洲と福州の文化が混じり、それ以外の馬祖の地域は福州文化となっています。北竿の「橋仔」というところは、全くの泉洲人たちの村で、馬祖の他の地域で話される福州語とはまた違う言葉が聞こえています。が、台湾本土の人からすると、福州は閩北語なので、全然わからないけど、泉洲は閩南語なので、大体聞いてわかる、なんて言ってます。台湾でも東部の宜蘭は泉洲から流れてきた人が多く、台湾人の台湾語=閩南語の中でも、特に宜蘭人の台湾語はクセがあると言われています。ここにある廟は屋根がキューッと外側に高く反り返っていて、これが泉洲の特色だそうですが、色も真っ白地に鮮やかな色彩で描かれています。また、台湾では高級な魚である「黄魚」。馬祖ではよく獲られ、特に冬場がおいしいとされています。ここでは、昔海の貿易で栄えたという人のお宅の中を見せてもらいました。馬祖のうちでは入口に黄魚の彫刻がほどこされていて、昔漁民であったことを記すうちも多いですが、ここのお宅は、蓮の花の彫刻が綺麗に彫られていました。これも裕福であったことを示す印です。一階はやはり福州杉の柱と天井。福州杉は本来とてもいい香りがするそうですが、長い月日を経ているのでもう香りはしません。2階に上がると、壁には世界遺産に残されてもいいくらいの書画の年代ものがありました。台湾の人たちが言うには、こういう筆跡は今の時代にはもうないと。
ふと小さな窓から覗くと、目の前には海が広がっていました。馬祖の家の窓はどこも小さく、開けているときは全開、締める時は木戸をかっちりと閉めるので、中も暗くなってしまいます。
もう日が落ちて、1日目が終わりました。
Part2に続く…